神戸

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【写真1】読者から寄せられた情報
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【写真1】読者から寄せられた情報
300以上の城を測量した木内内則さん=神戸市北区
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300以上の城を測量した木内内則さん=神戸市北区
丹上山にあった城の測量図=神戸市北区
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丹上山にあった城の測量図=神戸市北区

 「北マンスリー 街道を行く」の特集「山田の郷を訪ねて」で、丹生山(神戸市北区山田町)を取り上げたところ、額縁職人で、中世城郭研究家の木内内則さん(72)=同区=から左図(写真1)のような情報が寄せられた。山を登り続けて50年以上になる木内さんは、メジャーを片手にこれまで300を超える県内の城の測量を実施。それを基に城の測量図を作り、本にまとめてきた。丹生山周辺にあった山城について聞いた。(長沢伸一)

 時は南北朝時代。後醍醐天皇らの南朝方と足利尊氏らの北朝方に分かれての戦いが約60年続いた。丹生山が、戦いの舞台となるのはその初期の1336年だ。

 新田義貞の一族で南朝方の金谷経氏が丹生山頂にあった明要寺で挙兵し、立てこもった。周囲には複数の金谷側の城が作られ、この山を取り囲むように、北朝方の播磨国守護赤松円心が複数の城を構えたという。この戦いの詳細は不明だが、その後、赤松氏は東播磨や西摂津地域に勢力を拡大していった。

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 木内さんは、額縁職人として働き始めたばかりのころ、古本屋で江戸時代の播磨地域の地誌『播磨鑑』に偶然出合った。城への記述が目に入り、正しいのか調査を始めたという。

 木内さんは「まず城の角を見つけることが重要」と力を込める。山を歩き、真っすぐ削り込まれている場所を探す。角を発見すると、次に対の角を見つけるという。「額縁を作るにはどうやって四角にするかを計算する。本業の知見が役立った」と笑う。調査したメモを基に測量図を作成する。「大規模な城でも3時間あれば書ける」と胸を張る。

 約20あった丹生山周辺の城も史料などを基に測量。「石垣などはなく、小さな土の城だったことが特徴」と木内さん。「旗を立て、お互いが監視するための場所だったのでは」と推測する。

 城のほとんどが「寺院のそばにあった」事にも注目する。丹生山城(金谷側)は明要寺。多々部城(赤松側、中央区神戸港地方)は大龍寺。聖岡城(赤松側、北区淡河町神影)は石峯寺などだ。

 大きな領地と商業権を持っていた当時の寺院。「寺院の一角を借りて城にし、大部分の兵士は寺にいたのではないか。当時の状況から寺院の協力がなければ戦いをする事は困難だった」と説明する。

 明石や姫路と違い、城の印象が薄い神戸。木内さんは「城の部首は土。石垣がない小さな城は神戸にも多くあった。城を探し続けるために、まだまだ山を登り続けたい」と意気込む。

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