神戸

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西の帝劇と呼ばれた聚楽館
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西の帝劇と呼ばれた聚楽館
聚楽館内2、3階は弓なり、勾配で観覧しやすい構造になっていた
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聚楽館内2、3階は弓なり、勾配で観覧しやすい構造になっていた
淀川長治氏の生家があった付近=兵庫区西柳原町
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淀川長治氏の生家があった付近=兵庫区西柳原町
電柱に残る「衆楽館」の文字=兵庫区新開地2
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電柱に残る「衆楽館」の文字=兵庫区新開地2
淀川長治にちなんだ映画イベントを開く神戸アートビレッジセンターの岡本酉子(左)さんら=兵庫区新開地6
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淀川長治にちなんだ映画イベントを開く神戸アートビレッジセンターの岡本酉子(左)さんら=兵庫区新開地6

 映画に一生をささげた名解説者の淀川長治(1909~98年)は生前、こんな言葉をよく口にしていた。

 「嫌いな人に会ったことがない」「他人歓迎」。好きで選んだ道に楽はないという意味の「苦労来い」。

 そして、生きる手本にしたチャップリンの「人生に必要なものは、勇気と想像力と少しだけのお金」というセリフをこよなく愛した。

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 淀川の生家は、柳原蛭子(えびす)神社(神戸市兵庫区西柳原町)のすぐそばにあった。一家そろっての映画ファン。当時、千代之座、キネマ倶楽部(くらぶ)、相生座、栄館…など活動写真館や芝居小屋が軒を連ねる大繁華街・新開地と目と鼻の先で育ったことも淀川が映画に染まるきっかけになった。

 淀川が「文化の噴水」「日本の誇り」とまで称した劇場「聚楽館(しゅうらくかん)」跡地(同区新開地2)に足を延ばした。現在の大開通りと新開地本通りが交差する辺りだ。

 1913年に開場した同館は1200人を収容。鉄筋3階建て、地下1階の西洋建築は、「西の帝劇(帝国劇場)」と呼ばれた。劇場名は豊臣秀吉が京都に建立した「聚楽第(じゅらくだい)」から付けられたとされている。

 神戸大空襲で一帯はほぼ全焼したが、聚楽館は戦火を免れ、52年まで進駐軍専用の劇場として使用された。「ええとこ ええとこ、シュウラクカン」と歌いはやされ、戦前から戦後にかけて新開地繁栄の象徴として君臨したが、60年代以降、神戸の中心が三宮へ移り、78年に65年間の歴史に幕を下ろした。

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 面影を探し周囲を歩いていると、跡地に立つボウリング場などが入る遊戯施設前に「衆楽館 3」という文字を見つけた。電柱の識別管理番号だ。「聚」ではなく「衆」。新開地まちづくりNPOに尋ねてみると「『聚』は画数が多いので『衆』となったんでしょうか。よく分かりません」との返答だった。ちなみに遊戯施設のビル名にも「聚楽館」の名前が残っていた。

 新開地本通りを南へ。神戸アートビレッジセンターでは、2018年から毎秋、「淀川長治のまち」と名を冠した映画フェスを開いている。「淀川さんの面白い評論が、今の映画文化の発展につながった」と同センター映像事業担当の岡本酉子さん。

 実はこのイベント、阪神・淡路大震災の翌年から17年まで、被災地文化復興を掲げて行われていた神戸100年映画祭の「淀川長治メモリアル」を引き継いだものだという。

 岡本さんは「今はSNSで誰もが映画評論ができる時代。新開地の誇りである淀川さんの名前をつないでいくことこそ、新開地で映画に携わる者の役目」と話した。(西竹唯太朗)

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