神戸

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福原を歩く小広さん。かつては毎晩のようにお座敷がかかり、料亭に詰めていたこともあるそうだ=神戸市兵庫区福原町
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福原を歩く小広さん。かつては毎晩のようにお座敷がかかり、料亭に詰めていたこともあるそうだ=神戸市兵庫区福原町
芸者として幾つものお茶屋をはしごしたという思い出の地を案内する小広さん=神戸市兵庫区福原町1
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芸者として幾つものお茶屋をはしごしたという思い出の地を案内する小広さん=神戸市兵庫区福原町1
1934年11月の「第2回みなとの祭り」で繰り広げられた花魁道中
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1934年11月の「第2回みなとの祭り」で繰り広げられた花魁道中
かつての福原遊郭の貸座敷
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かつての福原遊郭の貸座敷

 神戸開港から間もない、明治初年にさかのぼる花街・福原(神戸市兵庫区)。今では風俗街との印象が先立つが、かつては唄や三味線などで客をもてなす「芸者」の町でもあった。宴席に興を添えた女性の数は、最盛期で約千人を数えたと伝えられる。戦災、売春防止法施行、バブル崩壊、阪神・淡路大震災…。時代の波と共に、お座敷遊びが廃れゆく中、花柳界の風情を今に伝える“最後の福原芸者”小広さんの案内で、往年の福原の姿をしのんだ。(千葉翔大)

 午後2時。福原桜筋沿いにある金刀比羅宮神戸分社の前に、小広さんはいた。落ち着いた草花模様の着物に、きりりと締めた黒地の帯。きれいに髪を結い上げた小粋なたたずまいに、記者の背筋もぴんと伸びる。

 小広さんは長崎県出身。中学卒業後、家族に仕送りをするため、憧れのあった花柳界で働くことを選んだ。神戸に移り住み、半世紀以上にわたり、踊りなどの芸事を座敷で披露する傍ら、15年ほど前からはスナックも経営してきた。

■遊郭

 湊川河口の高浜新田に開業した福原遊郭が、鉄道敷設のため現在地に移転したのは1871年。「福原遊郭沿革誌」(1931年)には、31年時点で1320人の遊女がいたと記されている。

 「遊女で最高位の太夫さんが町を練り歩く『花魁道中』があったそうよ」と小広さん。神戸まつりの前身で33年に始まった「みなとの祭」では呼び物の一つで、前結びの豪華な帯に高げたを履き、「八」の字を描くようにしゃなりしゃなりと歩く太夫の姿に、見物客が殺到したという。

■検番

 こんぴらさんを出発し、福原桜筋を歩く。目指したのは、小広さんの思い出の場所だ。

 「あれ。どこだったかしら」。5分ほど歩いたところで、小広さんがきょろきょろと辺りを見回す。

 「ここだ! 景色が変わって分からなかった」。視線の先には、4階建て鉄筋コンクリート造りの住宅型有料老人ホーム。この場所にかつて、「福原共立検番」があった。

 検番は、芸者の取り次ぎなどをする事務所。小広さんが働き始めた1965年には、約300人の芸者が在籍していたという。

 「長唄や日本舞踊の稽古をつけてもらうために、朝5時から予約を取り合った」。小広さんは建物を見つめる。

 「ここが玄関で、壁は源氏名を書いた木札で埋まってね」。自然と身ぶりが大きくなる。ただ、小広さんの小さな手が指す先にあるのは、老人ホームのベランダだ。

 「一人、また一人といなくなって。気付けば私だけになっていた」。建物から目を離さずに、感慨深げに語る。その目には、在りし日の福原かいわいが映っているように思えた。

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