神戸

  • 印刷
釈住職を囲む福児院の子どもら(「神戸と華僑」より)
拡大
釈住職を囲む福児院の子どもら(「神戸と華僑」より)
「華僑福児院」のあった関帝廟。本堂は震災で被災し再建された=神戸市中央区中山手通7
拡大
「華僑福児院」のあった関帝廟。本堂は震災で被災し再建された=神戸市中央区中山手通7

 三国志の英雄・関羽を主神に、神戸華僑から信仰を集める中国寺院「関帝廟(かんていびょう)」(神戸市中央区中山手通7)。コロナ禍で盆行事「普度勝会(ふどしょうえ)」も中止となったこの場所を、華僑の歴史に詳しい福建会館の林正茂(りんまさしげ)さん(69)さんの案内で訪ねていると、思いがけない言葉を聞いた。

 「戦災孤児たちの施設がここにあったそうです」。その名を「華僑福児院」といった。

 関帝廟は1888(明治21)年、黄檗(おうばく)宗万福寺の末寺を大阪から移転したのが始まりとされる。神戸に根を下ろした華僑にとって、葬儀や伝統行事が営まれる心のよりどころ。それが、1945年6月の神戸空襲により、失われた。

 再建の願いは強く、47年には長野市の善光寺から、中国山東省出身の釈仁光(しゃくじんこう)師(本名・湯欽明(とうきんめい)、1913~1987年)を住職に迎え、本堂が翌年完成した。

 福児院の誕生は、釈住職の来神間もない時期の体験がきっかけだったという。

 トアロードを歩いていたとき、パン店の前で3人の子どもが「パンを盗んだ」と、主人にぶたれているのを目にした。代金を払い、事情を聞くと、母親が薬物中毒で誰も面倒をみる人がいないということだった。

 戦後の混乱期、戦災孤児だけでなく、病気や事故で親を亡くした子どもも増えていた。関帝廟の建物を福児院とすると、多いときで30人ほどを養育した。

 台所は決して豊かではなかったが、おなかをすかせないよう、妻の麻子さんは愛情を注いだ。神戸を代表する中華料理の名店、神仙閣や第一楼などが食べ物を分けてくれるなど、同胞の支えもあった。

 神戸華僑幼稚園(神戸市中央区中山手通6)の前身「光華幼稚園」も51年に設立し、温和な人柄から「湯先生」「湯和尚」と親しまれていた釈住職。70年代に最後の子どもたちを送り出すと、長い戦後の活動を終えた。

 それから半世紀。戦争の記憶と共に、当時を知る人も今は少なくなっている。

 「戦後の混乱の中でも慈しみの心を持ち、子どもたちを救う人がいた。神戸華僑と関帝廟の歴史を、次の世代に伝えていけたら」と林さん。関帝廟に飾られた写真の中で、釈住職は温顔をみせている。(杉山雅崇)

神戸の最新
もっと見る

天気(9月28日)

  • 26℃
  • ---℃
  • 20%

  • 24℃
  • ---℃
  • 30%

  • 27℃
  • ---℃
  • 0%

  • 27℃
  • ---℃
  • 20%

お知らせ