坂を下って(3)日伯協会・出石さん 

2020/08/04 05:30

現代語訳した「椰子の葉風」を手にする出石美知子さん=神戸市中央区山本通3

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 海外移住と文化の交流センター(神戸市中央区山本通3)で気になる冊子と出合った。
 手書きされたタイトルは「椰子(やし)の葉風」。ブラジル移民の父といわれる鈴木貞次郎(1879~1970年)の回想録を、日伯協会のボランティア出石美知子さん(76)が、5年掛かりで現代語訳した私家版だ。
 ブラジルや移民とは無縁だった出石さんが、知人の紹介でボランティアを始めたのは2009年。「なぜブラジルが移住先だったのか、とよく尋ねられるのですが、当時の私にとっても最大の疑問でした」
 きっかけは、1905年に杉村濬(ふかし)公使が外務省に送付した「復命書」。サンパウロ州が移住先としていかに有望かを説き、新聞にも掲載された。
 気候は好適、賃金に不利益はなく、権利は平等-。「いいことずくめで、これなら行きたくなるはずだと納得しました」。同協会の常任理事だった故黒田公男さんに鈴木貞次郎の存在を教えられ、鈴木が同協会の会報「ブラジル」に18回にわたって寄稿した「椰子-」を読み始めた。
 「彼の働きで『日本人は信頼できる』という認識が現地に広まったんです」
    ◇
 鈴木は山形県出身。1905年にチリ入植を志し、横浜を出発したが、船中で知り合った「皇国殖民会社」の水野龍(りょう)に復命書を見せられ行き先を変更、水野と共にサンパウロ州で移民の受け入れ交渉を行った。
 出石さんが心を引かれたのは、鈴木のブラジル滞在1年目の姿だ。
 「水野は日本を知らない現地の有力者を説得するため、『彼の働きを見て日本人を判断してほしい』と、鈴木を置いて一時帰国してしまうんです」
 思わぬ形で“日本代表”となった鈴木は、コーヒー農園で懸命に働きながら、水野が戻るのを待った。
 「雇用契約さえ結んでおらず、ほかの移民よりはるかに低い給料で働いた」。そして、下働きから農園の事務、現地の移民収容所の書記へと、少しずつ仕事を任されていく。
 出石さんの心を捉えたのもうなずける、明治青年の激動の日々。その暮らしぶりを、出石さんの現代語訳からさらに紹介したい。(伊田雄馬)

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