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「日系移民が農産物を買いたたかれる状況に風穴を開けた」と評価する二宮健さん=神戸市東灘区
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「日系移民が農産物を買いたたかれる状況に風穴を開けた」と評価する二宮健さん=神戸市東灘区
下元健吉(サンパウロ人文科学研究所提供)
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下元健吉(サンパウロ人文科学研究所提供)

 「私の親戚にもブラジル移民がいます」。中央マンスリー「坂を下って」を読んだ二宮健さん(78)=神戸市東灘区=から、そんな電話を頂いた。親戚とは、神戸から旅立ち、同国最大の農協「コチア産業組合」の礎を築いた下元健吉(1897~1957年)。今も日系社会には、その人柄を慕う人たちがいるという。(伊田雄馬)

 二宮さんによると、母方の伯母が、下元を連れて海を渡った兄・亮太郎の妻。血のつながりはないが、「昔から親戚に健吉の業績を聞かされて育った」と顔をほころばせる。

 下元は高知県中西部の山村の農家に生まれた。16歳で神戸を出港し、ブラジルへ入植。サンパウロ近郊のコチア村で、ジャガイモの生産を始めた。

 組合が27年に結成されると、29歳の若さで理事長に就任。「それ以前に、見合い結婚のため一時帰国している。日本で協同組合が盛んになっているのを見て、感じるところがあったのでしょう」(二宮さん)

 大消費地・サンパウロへの農産物供給により組合の経営は軌道に乗り、設立から10年で組合員数は約1300人に増加。「自己主張が強い移民の対立をまとめ、資金不足の際には私財を担保に融資を受けたこともある」と二宮さんは話す。

 日米開戦により日本人は敵性外国人として排斥されるが、「移民出資のコチアは国内資本」と当局と交渉して、資産凍結から守った。戦後も事業の拡大や、日本からの青年呼び寄せに力を注ぐが、志半ばで急逝。その後、約1万4千人の組合員を抱えるまでに成長した姿を見ることはかなわなかった。

 ブラジルの経済危機の影響で、組合は94年に解散する。だが、下元が半生をささげた組合の意義は今も失われていないと、二宮さんは言う。

 「土佐の“いごっそう”の一徹さがあったからこそ、敵も作ったが、組合を発展させることができた」

 その波乱の生涯を伝えようと、ブラジル移民船出の地・神戸で、二宮さんは資料の収集を続けている。

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