鉄道余話(下)阪急乗り入れで人口増

2021/02/17 05:30

阪急王子公園駅近くに残る上筒井線の線路(奥)=神戸市灘区水道筋6

 4月に駅ビルのオープンを控える阪急神戸三宮駅(神戸市中央区)。だが、1920(大正9)年に神戸-大阪間が開通したとき、終起点駅はここではなかった。 関連ニュース 壮大なスケール、明石海峡望む景観… 五色塚古墳で体感「時空超えた力届けたい」 SFアニメの楽曲制作・竹縄さん 「パワースポット」五色塚古墳舞台のSFアニメ 神戸市と東宝が製作、公開 「歴史遺産を街の活性化に」 リュイス新体制のヴィッセル 2日、初陣の京都戦「ファンと勝利味わいたい」

 王子動物園に近い旧葺合区の東端、坂口通2丁目。「上筒井」という市電とのターミナル駅が存在した。今、その駅の面影はないが、王子公園駅近くに線路跡がわずかに残る。
 開業当時、一帯には関西学院や神戸高等商業学校(現神戸大)のキャンパスがあり、喫茶店やバーなどでにぎわっていた。神戸市が王子公園への大学誘致に再び乗り出したのは、そうした土地の記憶の故だ。
 とはいえ、都心の元町・三宮から外れた場所。05年開通の阪神電車に比べて、神戸への乗り入れは後れを取ったかにみえる。だが、近畿大短期大学部の井田泰人(よしひと)教授(51)=経営史=は「阪急の遅れよりも、官営鉄道(現在のJR)から客を奪うほどの勢いがあった阪神の成功に注目するべきでしょう」とする。
 阪神と阪急は、2006年の経営統合まで、長年のライバル関係。経営戦略は「住宅へのこだわり」という点で大きな違いがあったという。
 「阪神が民家の多い場所に線路を通したのに対し、阪急はJRの北側、つまり当時は民家の少ない場所に電車を走らせました」
 井田教授によると、移住促進のため、阪神は土地家屋を無料仲介し、定期券を割引き。一方、阪急は住宅ローンにより「百坪一区画」の一戸建てを売り出した。「阪神沿線が『庶民的』、阪急沿線が『高級』というイメージは、この辺りからかもしれません」
 阪急沿線が住宅地として開発されたことで、葺合区は発展を遂げる。人口は、阪神が乗り入れた1905年には4万6千人。それが阪急が乗り入れた20年には11万5千人へと膨れ上がった(「葺合ものがたり」)。商店街や市場が盛況だったというのもうなずける。
 だが、1930年の時点でもまだ、三宮に乗り入れているのは阪神電車のみ。現在のJR三ノ宮駅は影も形もない。
 官営鉄道の神戸-大阪間が1874(明治7)年に開通したとき、三ノ宮駅の場所は現在の元町駅付近。それが東に移転するのは、灘-鷹取駅間が高架化された1931(昭和6)年のことだ。
 高架の開通は10月10日。「すばらしい歓呼だ。神戸市内のこのざわめきはどうだ」-。駅には初乗り客があふれ、高架下には見物客が人垣をなす様子を、神戸新聞はそう伝える。
 この年、神戸市に区制が敷かれ、駅の所在地は葺合区となる。33年には阪神が地下線化し、三宮の駅ビルにはそごう神戸店(現神戸阪急)が開店。阪急も36年に高架線で三宮への延伸を果たす。
 そして今春、阪急の新駅ビルが開業し、三ノ宮駅前一帯も再び大きく変わろうとしている。鉄道と街は、切っても切り離せない。(安福直剛)

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