布引の滝(神戸市中央区)は、ハイキングコースに点在する歌碑が物語るように、平安時代から貴族が訪れた名勝。布引山の松に吹く風と滝の音を、三十六歌仙の一人、紀貫之は「松の音琴に調ぶる山風は 滝の糸をやすけて弾くらむ」と詠んだ。
その雄滝(おんたき)のすぐそばにあるのが「おんたき茶屋」。100年以上続く店を切り盛りする山口公子さん(68)の一日は、四方へ頭を下げることから始まる。
「自然に対する畏敬の念と感謝の気持ちは、いつも抱いています」
年始めの雪がうっすらと積もった朝。山に登ると、その言葉を肌身で感じた。地元で生まれ育っていながら、布引を訪れるのは記憶にないほど久しぶりだ。
「私も魚崎小学校(東灘区)出身なんだけど、関心はなかったかな。市街地からこんなに近いのにね」と山口さんが笑う。むしろ、北野周辺の外国人やコロナ禍まではインバウンド(訪日外国人客)も多く、山口さんにはさまざまな国籍の友人がいるという。
開港間もない明治初頭、この地に地元有志らの手で「布引遊園地」が造られた。滝周辺には山道や朱塗りの橋が整備され、茶店が立ち並んだ。いち早い観光地化の動きは、布引の魅力に目を付けた外国人に先んじるためだったともいわれる。
神戸でポルトガル領事職を務め、日本の文化を紹介した作家ヴェンセスラウ・デ・モラエス(1854~1929年)も、布引の滝を愛した一人。
「奥さんの故郷・徳島に移ってからも、布引の話をしていたそうです。徳島の土産物店で『おんたき茶屋のことも話していたらしいですよ』って聞いて、感動しちゃいました」
おんたき茶屋は1914(大正3)年に現在の名前で登記され、2014年に創業100周年のイベントを開いた。ただ、ルーツは明治期にさかのぼり、外観はほとんど変わっていないという。
茶屋には、「雄瀧 遊覧紀念」などと彫られた古いはんこがいくつか残る。そのうち今も使っているものには「神戸布引山去来軒」とあり、これが前身の名前らしい。
「明治の頃のものでしょうか。本当に長い間、よく店を守ってこられたなあって思います」
4代にわたる茶屋の歴史は、自然と山を愛する人々を抜きに語れない。喜びと苦労の歳月を、山口さんに尋ねることにした。(安福直剛)
