やるせない思い今も 小5の長女失った男性、最後のやりとり「賢いね」ずっと胸に

2022/01/17 22:20

10歳で亡くした長女紗綾香さんを思って祈る田村稔さん=東遊園地(撮影・大山伸一郎)

 新型コロナウイルスの感染が再び拡大する中、迎えた1・17。早朝から、震災で亡くなった人たちの家族や友人、そして被災者らが、密を避けながら東遊園地(神戸市中央区)など市内各地を訪れた。マスク越しにつぶやき、祈りをささげる。「今年も来たよ。見守っていてね」。 関連ニュース 「じゃあ、またね」が最後の言葉 20歳の娘を亡くした男性「死ぬまでその悲嘆を背負う」 「私の服、最期に着てくれていたね」 焼け跡で見つかった母、娘のお下がりで身元判明 「もう一度、母のご飯食べたい」前夜の食卓の記憶、今も鮮明 震災で家も仕事も失った男性が抱き続ける思い


 涙をこらえ、娘の名が記された銘板を何度もなでる。田村稔さん(76)=灘区=はあの日、小学5年生だった長女紗綾香(さやか)さん=当時(10)=を亡くした。三宮の東遊園地で娘の姿を思い浮かべながら、つぶやく。「悲しさは何年たっても変わらない。長いようで短い27年やったなあ」
 震災の強い揺れで、一家が住んでいた灘区友田町の木造の文化住宅は全壊。稔さん夫婦と兄2人は無事だったが、紗綾香さんだけはいくら呼んでも返事がなかった。稔さんも救助しようとしたが、倒壊した建物の下敷きになり、亡くなった状態で見つかった。
 紗綾香さんは3人きょうだいの末っ子。明るい性格で、一輪車に乗れるようになって喜んだり、得意だった鍵盤ハーモニカをよく演奏したりした。「将来は服屋さんに」。そんな夢を聞いたこともあった。
 一家は登山が趣味で、子どもたちが小さい頃から各地に足を運んだ。震災直前の正月休みには、長野、山梨両県にまたがる八ケ岳連峰の赤岳に一家で挑んだのが、今も思い出に残る。
 震災前夜、風邪気味だった紗綾香さんが、体調が悪いのに自分でお茶を移し替えて飲もうとしているのを見て「賢いね」と声を掛けたのが、最後のやりとりになった。あの時の紗綾香さんの褒められてうれしそうな笑顔は、今でも忘れることができない。
 当時経営していた居酒屋は、不景気もあり震災の数年後に閉店。今は警備員として働く。街中で娘と同年代の女性を見かけると、成長していたはずの姿を思い浮かべ、どこか懐かしい気持ちになるという。
 「慰霊と復興のモニュメント」にある娘の名前の白い文字。長年触り続けてきたため、少しかすれ始めている。「天国では幸せに暮らしてな」。そっと手を合わせ、また名前をなでた。(山本 晃)
【特集ページ】阪神・淡路大震災

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