<社寺巡礼>保久良(ほくら)神社 (神戸市東灘区本山町北畑) 舟人守る「灘の一つ火」

2022/05/13 14:00

沖を行く舟人が長年頼りにしたという灘の一つ火=神戸市東灘区本山町北畑

 閑静な住宅地を抜け、急勾配の坂にさしかかる。緑の中を15分も登れば、全身から滝のような汗。力を振り絞り、最後の曲線を登り切ると大きな石灯籠が姿を現した。保久良神社の社頭にそびえる「灘の一つ火」だ。標高185メートル。そばに立つと眼下に神戸の街が広がり、山肌を滑る涼風が疲れを吹き飛ばした。 関連ニュース 集団疎開、寂しさ耐えがたく 卒業で「覚悟して」空襲迫る神戸へ 92歳、語り継ぐ戦争体験 初心者も楽しめる「冬の六甲山ハイキング」 参加者募集、県山岳連盟がガイド 1月25日 兵庫県公館の庭にとらわれの老犬? 実は美術作品、足元ぐらつき周囲にロープ 「完治」の日はいつ

 神社の設立年は不明だが、境内からは弥生時代中期のものとされる祭(さい)祀(し)用の土器や矢じりが見つかっている。まつっているのは「椎(しい)根(ね)津(つ)彦(ひこの)命(みこと)」。海の安全を守る「実践と行動」の神だ。
 本殿南側に立つ灘の一つ火は、古来から沖をゆく舟の灯台代わりとして夜の航海の目印とされてきた。明かりのほとんどなかった時代、山の中腹で煌(こう)々(こう)とともる火は舟人の心を和ませたに違いない。江戸時代に詠まれた歌「沖の舟人たよりに思ふ 灘の一つ火ありがたや」は、地元に語り継がれている。
 その伝統を支えてきたのが麓の住民たち。平安時代まではかがり火をたき、室町時代以降は灯籠の中で火を燃やし続けてきた。世話役は「お燈(とう)明(みょう)番(ばん)」と呼ばれ、防火対策で電灯に変わった現在も、その意志はさまざまな神社の行事を手伝う「北畑天王講」の人々に受け継がれている。
 紀元前から多くの人が通ったとされる本殿への道。今も午前3時ごろから参拝者が絶えない。「決して楽ではないけれど、起きたら自然と足が向くのでしょう」と猿丸義也宮司(82)。人々に愛される参道への思いを込めて、「敬神愛山の道」と名付けた。
 幼少時から登り続ける猿丸宮司のお勧めはやはり早朝。東は生駒山、西は淡路島までを臨みながら、真っ赤な朝日を浴びる時間が最高だという。「生きる力が湧いてきますよ」
(岡西篤志)
〈メモ〉 境内には神生岩、立岩など大小の岩石群があり、古代庭園の面影を残す。同神社社務所(神戸市東灘区本山北町6)TEL078・411・5135
〈アクセス〉 阪急岡本駅から北東約1キロ。車での通行は不可。
【2011年8月11日掲載】

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