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娘の多永子さん、夫の範彦さんの写真とともに、「ふれあい」への思いを語る三川三代子さん=神戸市兵庫区
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娘の多永子さん、夫の範彦さんの写真とともに、「ふれあい」への思いを語る三川三代子さん=神戸市兵庫区

 1977(昭和52)年1月に始まったくらし面の投稿欄「ふれあい」は今年、丸40年を迎えました。編集局に届く原稿用紙には、命の尊さや家族、友人との心のふれあいや暮らしの中の喜び、悲しみなど、みなさんの思いが詰まっています。投稿に支えられ、ともに歩んで40年-。投稿者に話を聞きました。

【三川三代子さん 神戸市兵庫区 主婦・80歳 震災で亡くした娘に宛てて】

▼今年の母の日 1998年5月20日掲載

 三年前の阪神大震災で私の家は完全に崩壊、娘は亡くなった。その娘の二つ年上の従姉妹(いとこ)Yちゃんは今、結婚して子育てに追われている。小さいときは、泊まりがけで娘とよく遊んでいた。

 震災の時、Yちゃんのご主人も駆けつけてくれ、Yちゃんからのメモをいただいた。「おじさま、おばさま、どうか力を落とさないで、元気を出してね。足りないものは何でも言ってください…」。うれしくて涙が出た。メモはそれからずっと財布の中に入れて持っている。

 五月九日。美しいカーネーションの刺しゅうをした手づくりカードが私あてで届いた。「おじさま、おばさま、お元気でいらっしゃいますか。季節柄、お体、くれぐれも大切になさってください」とのメッセージが、ご主人とYちゃんの名前で書かれてあった。一瞬、戸惑ったが、Yちゃんが娘に代わってくれた「母の日」のカードであることがすぐわかった。

 娘は生前、母の日には必ず花をプレゼントしてくれた。気は付いていたものの、口にせずにいた今年の母の日。Yちゃんの思いやりは本当にうれしかった。

            ◇◇◇

 つらい気持ちは心に秘めてきた。阪神・淡路大震災で、一人娘の多永子(たえこ)さん=当時(32)=を失った、神戸市兵庫区の三川三代子(さよこ)さん(80)は振り返る。

 「人に泣き顔を見せたらあかんと思ってた。悔しかったからかもしれん。東遊園地へ行っても、周りはみんな泣いてるけど、私は歯をくいしばって、娘の名前をずっと見てた」

 1月17日の朝。神戸市兵庫区にあった木造2階建ての自宅は全壊した。母娘は布団を並べ、夫の範彦(のりひこ)さんも同じ2階で寝ていたが、多永子さんだけが柱の下敷きになった。

 何度も名前を呼んだが返事はない。がれきの中から引っ張り出して車で病院に運んだ。車内で人工呼吸をした。体は温かかったが、意識は戻らなかった。

 夫と2人、自宅の再建に追われた。震災や娘の話はほとんどしない。「同じ経験をしてお互いよく分かっている。口に出したら悲しくなるから、あえて話さなかった」という。

 震災から3年後の5月9日。多永子さんのいとこ西山安子さん(57)=神戸市西区=から母の日のカードが届いた。「いつも花をくれてたよね」。いとこの思いやりが心に染みるとともに、多永子さんの話題になった。

 そんな三代子さんの気持ちを、範彦さんが文章にまとめた。それが5月20日に載った「今年の母の日」だ。

 2000年8月5日には、「娘を震災で亡くして五年半」で始まる投稿が掲載された。01年3月11日は「七回忌に弟夫婦と姪(めい)二人がお参りに来てくれた」などとつづった。いずれも、三代子さんの思いを範彦さんが記し、三代子さんがチェックする共同作業だった。

 範彦さんの名前で投稿した「ふれあい」も。子ども時代の多永子さんとの思い出をつづった「娘と銭湯」(1999年1月15日)など4回載った。

 その範彦さんも13年夏、86歳でこの世を去った。三代子さんは震災後に建てたプレハブ住宅に一人で暮らす。

 範彦さんはいつも、「ちょっと見といて」と三代子さんに原稿を持ってきた。「こうした方がいいんちゃう?」。「ふれあい」を通じて娘の思い出を語り合う、そんなやりとりが懐かしい。

 今も時々、文章を読み返す。「お父さんそのもの。気持ちがこもっていて、いろんなことも思い出せる」

 自宅では、多永子さんが生前、身に着けていた腕時計が今も時を刻み、範彦さんのペンと用紙もそのままだ。「書き残してくれていて良かった。おかげで寂しくない」と和やかな表情を見せた。

(中島摩子)

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