生活

  • 印刷
「手先を動かすのは、健康のためにもよさそう」と話す井澤和代さん=加東市天神
拡大
「手先を動かすのは、健康のためにもよさそう」と話す井澤和代さん=加東市天神
勝岡きぬゑさん
拡大
勝岡きぬゑさん
勝岡きぬゑさんが「ふれあい」を書き写していたノート
拡大
勝岡きぬゑさんが「ふれあい」を書き写していたノート

【井澤和代さん加東市 主婦・72歳 書き写していた母の後継ぐ】

▼新聞 2015年3月20日掲載

 実家の母は96歳の天寿を全うし永眠しました。胸の痛みを訴え、約3時間後にはあっけなく逝ってしまいました。

 母は目の手術を受けたにもかかわらず、時間をかけて神戸新聞をよく読んでいました。わが家も取っているので、身近な話題について「載っとったなあー」と話し合ったりしたものです。

 母亡き後、本箱に十数冊のノートを見つけ開くと、2001年ごろより「ふれあい」の文章を書き写していました。全然知りませんでした。

 また、「私も神戸新聞に載せてもろたことがあるんやで」と言っていました。亡くなる数日前、その短歌を思い出したようで、紙切れに書き、こたつの上に置いていました。「山陰の車窓より眺めし大山は富士に負けじと雪をかぶれり」。三十数年前、父と訪れた折の一首です。短冊に代筆して霊前に供えました。

 苦労の多かった母でしたが、書くことにより救われていたのだと思います。

 夜、風呂上がりにリビングで新聞を開く。テーブルの上には、大学ノートとボールペン。「ふれあい」を一文字ずつ書き写していく。

 加東市天神の主婦、井澤和代さん(72)は、ボールペンを動かしながらふと考える。「母もこんなふうに、書いていたのかな」と。

 急性心筋梗塞のため96歳で亡くなった母、勝岡きぬゑさん=西脇市=の本棚から大学ノート10冊が見つかったのは、2015年2月。葬儀の数日後だった。

 ノートの表紙には、「私のらくがき」と書かれていた。01年から約5年分が残っていた。

 きぬゑさんは息子夫婦や孫ら計7人で暮らしていた。家族によると「昼間、縁側に座って、よく神戸新聞を読んでいた」というが、ふれあいを書き写していたことは誰も知らなかったという。

 その驚きと母への思いを投稿したのが、15年3月20日の「新聞」だった。

 文章だけでなく、金魚やツクシなどのイラストを書いたり、モミジやクローバーを挟んだりする遊び心も。自分の部屋のこたつで、楽しそうに作業しているきぬゑさんの姿が思い浮かんだ。

 親族間で相談し、井澤さんが3冊を自宅に持ち帰った。きぬゑさんが亡くなって5日後の2月27日、新しい大学ノートに初めてふれあいを写してみた。3月2日にはノートの表紙の裏にこう記した。

 「私も母が書いていたように、後を継いでゆきます」

 「急に亡くなったこともあり、母のために何かしたいと思った」と井澤さん。その後の約2年間でノートは7冊になった。

 ふれあいを写していると感じることがある。「投稿に共感したり、励まされたり。嫁ぎ先では苦労が多かった母も、書くことで元気づけられていたのかもしれません」

 今年1月末、きぬゑさんの三回忌が終わった。ふれあいは「また自分でも書いてみようかな」と考えている。書き写しももちろん続けるつもりだ。(中島摩子)

生活の最新
もっと見る

天気(9月23日)

  • 27℃
  • ---℃
  • 10%

  • 27℃
  • ---℃
  • 10%

  • 28℃
  • ---℃
  • 0%

  • 28℃
  • ---℃
  • 0%

お知らせ