三木

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総合プロデューサーの山本篤は「山本医院」と自宅との往復に粟生線を利用している=2017年12月、緑が丘駅
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総合プロデューサーの山本篤は「山本医院」と自宅との往復に粟生線を利用している=2017年12月、緑が丘駅
撮影現場でスタッフと話し合う監督の小西イサオ(中央)=三木市本町2
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撮影現場でスタッフと話し合う監督の小西イサオ(中央)=三木市本町2

 神戸電鉄粟生線、三木駅(兵庫県三木市)下り駅舎の火災からわずか6日後。「粟生線の未来を考える市民の会」代表を務める山本篤(50)は、一つ上の幼なじみに、フェイスブックを通じてメッセージを送った。

 「粟生線を再生させるため、竜が鉄道の守り神として君臨する話をつくりたい。神鉄って神話が似合うし、(赤い車体が)いかにも『紅龍』のようでしょ」

 映画化は、幼少期から粟生線を利用し、今も緑が丘駅前で医院を営む山本ならではの提案だった。

 メッセージの送り先は、同県明石市で映画の自主製作に関わる会社員小西イサオ(51)。2人はかつて神戸市西区押部谷地域の同じ団地に住み、中学校では共に美術部に所属していた。30年以上たつ今も時々会って話をする仲だ。この縁が、計画実現への大きな一歩となった。

 「面白そうやな」。小西は直感的にそう感じた。映画好きの本能に導かれ「できることなら何でもやりますよ」と返信した。山本が大変な努力で医師になったことや、能や三味線をたしなむ一面も見てきた。何より少年時代からの信頼関係があった。

 小西はアニメ界の巨匠宮崎駿の作品に引かれ、映画監督に憧れた。鈴蘭台高校(神戸市北区)時代には、文化祭で8ミリフィルムのカメラを使い短編アニメを作ったほどだ。京都産業大を経てケーブルテレビ局に入社。転職した今も、映画の現場が好きで、ずっと自主製作に関わってきた。

 昨春は久々の監督作品として、少女の心の成長を描く映画の撮影を終えたばかり。製作を依頼されたのは今回が初めてで、高校時代通学で利用した粟生線が舞台だ。「ずっとお世話になった電車のために力になりたい」。迷いはなかった。

 4月10日、2人は三木市緑が丘地域の串カツ屋で再会した。山本は「説教くさくなく、娯楽にしたい。市民を巻き込んで、ローカル線を盛り上げる」と訴えた。一致した理想のイメージは、昭和後期にヒットした邦画「時をかける少女」。透明感や幻想性があり、切ない青春映画で、そういう要素がほしかった。

 三木駅の再建に向けて2年先を見越し、進展は早かった。6月、小西の知人で脚本家の広富いちみ(京都市)を加えた3人で大阪に集まった。テレビ電話を含む数回の話し合いを重ね、構成は喜劇の要素を外したり、主人公を変えたり二転三転。竜を登場させるにはCGを使わないといけないなど技術的な壁もあった。最終的に、竜神の鉄像を祭る神社の宮司一族は、超能力が使えるといったストーリーに仕立てた。

 ようやく形になった年明け、出演者を決めるオーディションにこぎ着けた。=敬称略=(井川朋宏)

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