三木

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鉄と鋼を接合する現代の職人=三木市別所町東這田、三木章刃物本舗
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鉄と鋼を接合する現代の職人=三木市別所町東這田、三木章刃物本舗
金物の歴史を伝える古文書=みき歴史資料館
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金物の歴史を伝える古文書=みき歴史資料館

 赤く燃えさかる鉄と鋼に職人が小槌や大槌をふるう。「トンテン」「カンテン」と、小気味よい金属音が響く。地元・兵庫県三木市の職人が繰り広げる古式鍛錬の実演を見物客が見守った。

 毎年、市内外から15万人以上が押し寄せる「三木金物まつり」。会場には、包丁やのこぎり、鉋(かんな)など職人自慢の品が所狭しと並び、買い者客が次々と手に取っていく。「金物のまち」を象徴する市最大のイベントとなっている。

    ◇

 三木市が金物の産地として名をはせたのは、三木城主別所長治と羽柴秀吉が戦った三木合戦後。焼け野原になったまちを復興するため秀吉が大工や鍛冶職人を集めたのがきっかけ-。

 同市出身の記者は郷土の歴史をそんな風に習った。だが近年、異なる説が浮上している。秀吉による税金免除で商業の町として発展した経緯はあるが、大工や職人を集めたことを裏付ける史料はない。

 かつての三木は繊維業が中心だった。「少なくとも大工道具鍛冶が盛んでなかったことは確か」とみき歴史資料館(三木市上の丸町)学芸員の小川浩功(ひろのり)(30)は説明する。

 近年の研究では、商品としての大工道具に目を付けたのは江戸時代、試しに仕入れたのこぎり「前挽鋸(まえびきのこ)」が取り合いになるほど売れる様子を見た商人だったという。

 古文書には「江戸表大火焼失にて前挽鋸大いにはやり」との記述がある。「江戸時代は火事が多く、家屋の再建に必要な大工道具の需要が伸びたことも追い風となった」と小川。

 一方、鍛冶道具の販売を専門とする「仲買問屋」が1760年代に登場し、後に江戸や「大坂」といった巨大市場との取引も始まった。三木では、職人がつちをふるい、問屋は販路拡大-というような分業体制も発展の原動力となった。

 三木は前挽鋸の産地として有名だった京都をしのぐほどになり、名実ともに全国有数の大工道具の産地となったという。職人と商人の連携が、金物のまち三木を生んだ。=敬称略=

(大橋凜太郎)

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