三木

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戦時下の資源回収を免れ、南北朝時代の姿がそのまま残る鐘=蓮花寺
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戦時下の資源回収を免れ、南北朝時代の姿がそのまま残る鐘=蓮花寺
かつて鐘突き堂があったことが分かる遺構=蓮花寺
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かつて鐘突き堂があったことが分かる遺構=蓮花寺
当時の生活道路に面した斜面。ここから鐘を運んだと思われる=蓮花寺
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当時の生活道路に面した斜面。ここから鐘を運んだと思われる=蓮花寺

 かつて、兵庫県三木市口吉川町の蓮花寺には二つの鐘があった。現在、境内に残るのは、三木合戦や太平洋戦争を経ても失われなかった県指定重要文化財。一方は戦時下の金属類回収令で供出され、今は鐘突き堂の遺構だけが残る。住職の密祐浩さん(57)は「二つの鐘の命運は、資源が乏しい国が戦争に突入した無謀さを今に伝えている」と語っている。(大橋凜太郎)

 645年に創建され、弘法大師(空海)も修行したと伝わる同寺。今も残る鐘は1346年の鋳造で、東大寺など名だたる仏閣の鐘を手掛けた職人集団「河内鋳物師(かわちいもじ)」の作品という。

 寺には僧兵がいたため、戦国時代の三木合戦では、三木城攻めの戦火に見舞われた。本堂や仁王門など全ての建造物が灰になったが、鐘は失われなかった。その後、寺は徳川幕府によって再建された。

 「二つ目の鐘」の由緒は不明だが、近くに住む男性(92)は「明治時代の神仏分離令をきっかけに、細川町(三木市)の寺社からもらったと聞いたことがある」という。いずれにしても、兵器生産に欠かせない金属は、供出を免れることはできなかった。

 恐らく二者択一を迫られ、一方を差し出すことになったのだろう。斜面から転がすように運び出し、周囲に鐘の音を響き渡らせたと記憶する住民も。密さんは「鐘突き堂の遺構は当時の唯一の生活道路に近く、十分あり得る」と話す。

 いったん地元の小学校に集められた鐘は、その後広島に運ばれた。呉市の軍港で終戦を迎え、現地の寺に引き取られたという。

 「武器になって人を傷つけることがなかったのが救い」と密さん。「大事に受け継がれてきた鐘を、平和と豊作の象徴として守っていきたい」と誓う。

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