三木

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合併までの曲折を振り返る元吉川町長の岩波勉さん=三木市
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合併までの曲折を振り返る元吉川町長の岩波勉さん=三木市
住民代表が集まった合併の経過説明会=2003年12月、三木市吉川町吉安
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住民代表が集まった合併の経過説明会=2003年12月、三木市吉川町吉安
加古房夫市長(左)に事務引き継ぎ書を手渡す岩波勉・元吉川町長=2005年10月、三木市役所
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加古房夫市長(左)に事務引き継ぎ書を手渡す岩波勉・元吉川町長=2005年10月、三木市役所
吉川町の閉町式典で、町旗を降ろす住民代表ら=2005年10月、三木市吉川町西奥
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吉川町の閉町式典で、町旗を降ろす住民代表ら=2005年10月、三木市吉川町西奥
神戸新聞NEXT
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 旧吉川町が兵庫県三木市と2005年に合併して、24日で丸15年を迎える。同町が合併するのは、三木市か、同県三田市か-は町を二分した議論にもなった。合併論議に町が揺れた変革期、町長を務めた岩波勉さん(77)=三木市=に当時の思いを聞いた。(大橋凜太郎)

 財政状況を考えると、合併を考えざるを得ない時期に来ている-。

 市町合併論議が高まり、国からの地方交付税などが優遇される合併特例法の期限切れを前にした2002年3月、岩波さんは町議会で表明した。

 酒米・山田錦の生産や多くのゴルフ場で知られ、「財政的にも優等生」ともいわれた同町。町の貯金にあたる財政調整基金も潤沢だった。岩波さんは続ける。「当時、1町を維持するに越したことはないと、私も含め多くの町民が思っていた」と。

 確かに基金はあったが、(収入に対する借金返済の割合を表す)実質公債費比率は増加傾向にあった。10年先を見据えると、町のままでは財政状況が厳しくなる、と判断した。

 かつて、吉川と神戸を結ぶ自動車専用道路をつくる構想もあったという。「実現していれば、神戸と合併する可能性もあったかもしれない」とも思う。

 合併先は、行政や文化的つながりの深い三木市か、買い物など生活圏となっている三田市かで意見が分かれた。町議会の特別委員会では、「三田の方が歳入規模が大きいのに、なぜ三木との合併を求めるのか」との意見もあった。三木との合併推進派と、住民の意見をくみ上げるべきとする住民投票派が激しく対立した。

 住民投票派のほとんどが三田市との合併を望んでいたが、同市の合併に対する反応は、当初から消極的だと岩波さんは感じた。仮に住民投票をして同市が多数だったとしても受け入れるとは思えなかった。

 住民投票によって、むしろ合併に前向きだった三木市との関係が悪化してしまうことを恐れた。

 三田市はニュータウンとして人口を増やしていたが、既に少子高齢化のあおりを受けていた千里ニュータウン(大阪府)の様相に同市の将来を重ね、20、30年後を考えると大変だろうと思った。

 町議会特別委員会では2003年5月に「三木市と合併する」という提案を賛成多数で可決したが、同年の選挙によって町議会で「三木派」と「住民投票派」の議員が同数に。住民投票派による招集請求で開かれた同年12月の特別委では、同派の委員が「独自調査の結果、三田市が受け入れてくれる可能性は少ない」と発言。採決の結果、合併先が三木市と決まった。

 その後の町長選では、対立候補が三木との合併協議の白紙撤回を訴え、「住民の意見が全く反映されていない」と岩波町政を批判。投開票の結果、岩波さんが得た票は投票数の約7割に達し、三木との合併路線が信任された形となった。岩波さんは3期で引退する予定だったが、「合併の是非を問うためだけに立候補した」という。

 その後は、三木市と吉川町の両議会が合併協議会設置議案を相次いで可決。協議会設置を経て、合併協定調印式が行われた。

 岩波さんは「吉川を頼むぞ」との思いを加古房夫元三木市長に託したという。

 誕生から15年がたった「新三木市」をどのように見ているのか。岩波さんは「合併の総括をするのは15年では早い」としながら、しかし、合併当時に9千人余りだった吉川町地域の人口が7千人を割ったのは衝撃的といい、「若い人が望むことをもっと市政に反映してほしい」と期待する。

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