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かつての「虫干し行事」が現在の「義民祭」へと移り変わる様子を紹介する企画展=みき歴史資料館
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かつての「虫干し行事」が現在の「義民祭」へと移り変わる様子を紹介する企画展=みき歴史資料館
義民の一人、大西与三右衛門と関わりの深い小袖もある=みき歴史資料館
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義民の一人、大西与三右衛門と関わりの深い小袖もある=みき歴史資料館
江戸時代の三木町の様子がうかがえる絵図=みき歴史資料館
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江戸時代の三木町の様子がうかがえる絵図=みき歴史資料館

 兵庫県三木市には、居住地に関する税を免れる「地子免許特権」を守った2人の物語が伝わる。死罪を覚悟で幕府に直訴したという遺徳をしのぶ「義民祭」が年2回営まれているが、これまでの研究では、行事の意味合いや物語の内容が時代によって変化していることが分かっている。みき歴史資料館(三木市上の丸町)学芸員の小川浩功さん(30)に、その背景を聞いた。(大橋凜太郎)

 戦国時代に城下町として発展したと考えられる三木町は、羽柴秀吉と三木城主別所長治が争った三木合戦で荒廃。まちの復興のために秀吉が制札を建て、住民を呼び戻すための策を講じたとみられる。

 秀吉の制札に盛り込まれていたかどうかは諸説あるが、三木町は地子免許を背景に地域経済の中心地として発展を遂げた。

 危機が訪れたのは、江戸前期の「延宝検地」。特権が剥奪されそうになったため、まちの代表として岡村源兵衛と大西与三右衛門が、幕府の勘定奉行所に訴え、権利を守った。

 義民祭の原型となる「虫干し行事」も、江戸時代に始まった。地子免許の証拠となる文書を寺の宝蔵から出す行事は、主に権力者への感謝を示すために行われた。

 記憶の風化を防ぐために内容も荘厳(そうごん)となり、町の由緒を伝えるため、同時期に地子免許を守った経緯を伝える物語が編さんされた。

 明治時代になると、地租改正で地子免許特権が失われ、行事の意味と物語の内容が変化。当時全国で流行していた義民物語の影響を受けて「死罪覚悟」の要素が加えられたとみられる。それまでの虫干し行事も、義民をたたえる行事に変わっていった。

 物語では命を賭して特権を守ったとされる2人だが、「直訴をもって死罪にならないことは、近年の研究で明らかになっている」と小川さん。「物語の内容は脚色が多いが、結果として古文書史料が後世まで残ったことに意義がある」と話している。

■関連史料やパネル61点 みき歴史資料館義民の「記憶」展

 企画展「三木町の地子免許特権と義民の『記憶』」が、みき歴史資料館(三木市上の丸町)で開かれている。現在の「義民祭」の意味合いが時代背景と共に移り変わる様子を、古文書やパネルなど61点を通して伝えている。3月21日まで。

 義民祭は江戸時代、居住地に関する税を免れる「地子免許特権」を守った岡村源兵衛と大西与三右衛門をたたえる行事。夏には本要寺(三木市本町2)、冬は本長寺(三木市府内町)で営まれ、市民らが遺徳をしのんでいる。

 企画展では、羽柴秀吉が三木町に対して出した制札のほか、町の由緒をまとめた古文書などが並ぶ。史料を補足するパネルでは、地子免許の伝統を可視化し、権力者への感謝を示す行事が、義民をたたえる行事に変わったことを伝えている。

 午前9時~午後5時。月曜と、祝日の翌日は休館。3月6日には、「三木の『義民』伝承と顕彰行為」と題し、佛教大学宗教文化ミュージアム学芸員の長谷川奨悟さんが講演する(新型コロナウイルス感染症の拡大状況に応じて延期や中止の可能性もある)。みき歴史資料館TEL0794・82・5060

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