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1954年5月6日の合併調印式の写真(三木市発行「市政50年のあゆみ」より)
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1954年5月6日の合併調印式の写真(三木市発行「市政50年のあゆみ」より)
兵庫県知事宛てに出された市制施行申請書。右が三木町と別所、口吉川、細川村の合併時。左が三木市と志染村の合併時。
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兵庫県知事宛てに出された市制施行申請書。右が三木町と別所、口吉川、細川村の合併時。左が三木市と志染村の合併時。
市制施行申請書に記されている志染村議会のやりとり
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市制施行申請書に記されている志染村議会のやりとり
市制施行申請書に記されている志染村議会の様子。神戸市との合併話があったことも記されている。
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市制施行申請書に記されている志染村議会の様子。神戸市との合併話があったことも記されている。
(注)久留美村は1951(昭和26)年に三木町に編入合併。北谷、中吉川、奥吉川の3村は55(昭和30)年に合併し吉川町に。吉川町は2005(平成17)年に三木市と合併
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(注)久留美村は1951(昭和26)年に三木町に編入合併。北谷、中吉川、奥吉川の3村は55(昭和30)年に合併し吉川町に。吉川町は2005(平成17)年に三木市と合併

 本紙三木版で連載中の「みきの昭和」に使用する1枚の写真を編集している時、違和感を覚えた。市が発行した書物に掲載されていた、兵庫県三木市と志染村の合併調印式の写真。1954(昭和29)年に近隣町村が合併し、三木市が誕生したが、記録によると、志染村の合流は他の村より1カ月遅い。写真が撮影された調印式の時点で、既に三木市に変更されていたはずだが、机上の札は「三木町」になっている。疑問をひもとくと、志染村合併の「真実」が浮かび上がってきた。(長沢伸一)

 三木市発行の「市政50年のあゆみ」によると、美嚢郡三木町と別所村、細川村、口吉川村が合併し、三木市が誕生したのは54年6月1日。その1カ月後、三木市と志染村が合併した、と記録されている。その記述とともに掲載されている合併調印式の写真。それぞれの代表者と思われる人物の前に置かれている札には「三木町」「志染村」の文字が見える。

    ◇

 「合併調印式は1954年の5月6日に行われたんです。だから札は『三木町』『志染村』となっているんです」。三木の歴史を研究している市立みき歴史資料館の金松誠学芸員(44)が説明する。でも、なぜ遅れて合流したはずの志染村が、他の村と一緒に5月の調印式に出席しているのか。金松学芸員は古めかしい行政文書のつづりを持ち出し、解説を続ける。

 54年6月11日付の「市制施行申請書」。三木市と志染村が合併を兵庫県に申し入れた際に提出された文書という。県知事宛てに三木市長職務執行者の小林利八と志染村長の南野英麿の名前が記されている。

 この文書などによると、54年3月8日、三木町が近隣4カ村に合併を呼び掛けた。別所村、細川村、口吉川村は同意したが、志染村のみが受け入れなかった。村内で神戸市との合併を求める意見があったという。

 だが、三木町は志染村への呼び掛けを続けた。同年4月23日、三木町は再度合併申し入れを行う。一方、神戸市は志染村を受け入れることに後ろ向きだったという。三木市史には「神戸市が志染村との合併に乗り気でないことが明らかになっていくにつれ、住民もしだいに神戸市との合併の希望を捨て、また村当局関係者の部落巡回などの努力もあって、三木町側との合併の方向へと傾いていった」(原文)と記されている。

 志染村議会が三木市との合併を承認したのは同年6月10日。だが、その約1カ月前の5月6日に行われた三木町と3カ村との合併調印式に、志染村の代表も同席している。金松学芸員は推察する。「三木町からの再度の申し入れ後、村内の大勢が合併で決まった。このため村議会での承認前に調印式に出席したのではないでしょうか」

 合併を正式に決定した6月10日の志染村議会で南野村長は「いったん作った新市を解消してまで合併を勧誘してこられる関係町村の友情に応える道はこの際意を決めて合併すること」と述べている。

 記録上は1カ月遅れで三木市に加わった志染村。だが、68年前に撮影された一枚の写真が、他の村と「同時」に合併したことを今に伝える。

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