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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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坂を下って(1)海外移住と文化の交流センター 2020/07/31

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海外移住と文化の交流センター=神戸市中央区山本通3(撮影・大山伸一郎)

■ブラジル移民、船出の地 記憶とどめる旧「収容所」

 「神戸から世界へ」-。海の向こうを見つめる家族の像の台座には、そう刻まれている。

 メリケンパークに建つ、「希望の船出」像。1908(明治41)年4月28日に神戸を出航した「笠戸丸」に始まる、ブラジル移民船の乗船記念碑だ。

 海を背に鯉川筋の坂道を上り詰めると、クリーム色のクラシカルな5階建ての建物が目に入る。「海外移住と文化の交流センター」(神戸市中央区山本通3)。28年の完成当時は「国立移民収容所」といった。

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2001年に完成した移民船乗船記念碑=神戸市中央区波止場町(撮影・大山伸一郎)

 どのような理由で建設されたのだろう。

 「それまでは、メリケン波止場に近い海岸通などにある移民宿に泊まり、出国の準備をしたのです」。同センター管理団体の一つ、ブラジル(伯剌西爾)との交流を進める一般財団法人「日伯協会」は説明する。

 国内産業が未発達で、海外移住に夢を託した時代。民間によるブラジルや南米への移民事業が、国策として奨励されるようになる。

 「26年に日伯協会を立ち上げた神戸の経済人を中心に、『国策事業には国立の宿泊施設が必要』との声が高まり、国や県、市に働き掛けて収容所が建てられたのです」

 約600人を収容できるビルの内部は、長い船旅に備えて船内を模した構造になっていたという。各地から集まった移住希望者は一週間から十日を過ごし、準備を整えた。

 71年に閉所されるまで、神戸からのブラジル移民は約25万人という。その多くはここから坂を下り、海を渡った。彼らにとって神戸は「最後の日本」だった。

 一体、どんな生活だったのだろう。

 センター内の「移住ミュージアム」には、開所直後の28年3月13日から新聞に掲載されたルポ「国立移民収容所の一週間」が展示されている。初回の書き出しはこうだ。

 〈「せまい日本にや住み飽きた」ところからコーヒーのかほりも高き南米の天地-ブラジルに自由を求める人たち〉

 記事では、葉巻をくゆらせながら洋服姿で現れた青年を「スッカリ洋行気分」と冷やかしている。だが、実際は「人生を賭けた一大決心だったはずです」。

 日伯協会の案内で別の展示に目を向けると、移民の実像が見えてきた。(伊田雄馬)

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 神戸の坂を下り、地球の反対側、ブラジルへ渡った人たちがいた。サンバの国、コーヒーの国との関係を、神戸に残る移住の拠点からたどります。

【神戸市立海外移住と文化の交流センター】移住ミュージアム、在住外国人支援、国際芸術交流の三つの機能を併せ持つ施設。日伯協会、NPO法人関西ブラジル人コミュニティCBK、NPO法人芸術と計画会議(C.A.P)などが共同で管理運営する。月曜休館。入館無料。同センターTEL078・272・2362