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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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坂を下って(2)移民1世・長谷川さん 2020/08/01

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当時の神戸移住斡旋所前で撮影した家族写真を手に、思い出を語る長谷川眞子さん=神戸市中央区山本通3

■新天地、夢見た思い出今も 渡航前全国から家族集い

 かつてはブラジル移民を送り出す拠点施設だった、海外移住と文化の交流センター(神戸市中央区山本通3)。整備された「移住ミュージアム」の壁には、「成功を夢みている」という落書きが保存され、ベッドを詰め込んだ部屋が再現されている。

 故国を離れて、新天地を目指したのはどんな人たちだったのだろう。

 「貧しい農民が多いというイメージを持たれがちだが、軍人や警察官、大工などいろんな職業の人がいた」。ミュージアムを運営する日伯協会はそう説明する。

 展示パネル「都道府県別移住者マップ」からは出身地域の傾向が読み取れる。人数が多いのは広島、山口に福岡、熊本。「これらの県はハワイ移民の時代から渡航人数が多く、移民事業に熱心な土壌が築かれていったのでは」。移民たちには“クニ”を越えた出会いがあった。

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移住ミュージアムに再現されているベッドの並ぶ部屋=神戸市中央区山本通3

 「そうそう、全国から家族が集まっていてね」

 明るい声でそう振り返るのは、移民1世の長谷川眞子さん(69)。7歳からの約33年間をブラジルで過ごした。現在は、同センターを拠点とするNPO法人「関西ブラジル人コミュニティCBK」にスタッフとして関わる。

 長谷川さん一家も山口県出身者で、1957年にアマゾン川流域に入植。渡航前の1週間を、この建物で過ごした。

 「大部屋に7人家族で、兄たちは言葉(ポルトガル語)を勉強し、私は屋上にあったすべり台やブランコで遊んだ」と懐かしむ。

 鮮明に覚えているのは、家族で神戸大丸へ出掛けて買い物をしたこと。「兄は時計やカメラを買ってもらい大喜びで、私は屋上遊園地が楽しかった」

 大事にしている家族写真には、全員がサングラス姿で写っている。「露天商に『ブラジルの日差しは強いから、目を傷める』と勧められて買った。今考えれば、だまされたんですけど」と笑う。

 雑貨店で買い求めた農具や衣類をドラム缶に詰め、支度を調えていたある日、耳慣れない言葉で会話している家族がいた。

 「『もうポルトガル語を話している』と驚いていたんです。ところが…」。実はその家族は山形の出身。お国言葉でしゃべっていただけだと分かり、母親と顔を見合わせて大笑いした。

 長谷川さんは夫の仕事の都合で90年に帰国し、現在は大阪府箕面市で暮らす。今もJR元町駅からセンターへ続く鯉川筋を通ると、母親に手を引かれて坂道を歩いた幼い日の光景が、ふっと頭の中によみがえるという。(伊田雄馬)