弟や息子らに囲まれる鈴木貞次郎(左から2人目、山形県大石田町提供)
■「移民の父」若き日の苦闘 コーヒー農園で信頼得る
〈鐘とラッパの音で、その日その日の決められた肉体労働が支配されて、まだ奴隷制度があった頃の雰囲気を残しているコーヒー園生活も、下草の除草時に入るとラッパの音が聞こえてこなくなる〉
日伯協会のボランティア出石美知子さん(76)が現代語訳した、ブラジル移民の父・鈴木貞次郎(1879~1970年)の回想録「椰子(やし)の葉風」は、こう始まる。
鈴木は06年、皇国殖民会社の水野龍(りょう)の誘いでブラジルの土を踏んだ。農政局長の知人が運営するコーヒー農園で働きながら、豊かな風土に魅せられていく。
〈二百メートル位のバナナの道。広々とした葉がひらひらと舞い翻ると、月光がこぼれて暗い地上に明るい影を投げる。時としては無風……おそらくはサンパウロ州の夜の一特色であろう…〉
なんでも体験しなくてはいけないと、時々はくわを手に汗を流した。さまざまな農園労働者と付き合い、楽天的なイタリア人からは「コーヒー園労働は気長にやることが一番」と教わる一方、反抗的なスペイン人に「こんなところに君の国の人たちを働かせるつもりかね」と問い詰められる。
そして、コロニヤ(移民小屋)の娘アンナと引かれ合う、異郷のロマンスも。黄色人種という劣等感から「もう一歩」を踏み出せずにいるうち、水野の移民事業が形を取り始め、鈴木はサンパウロの移民収容所で働くことになる。
農園を離れる別れの場面はロマンチックだ。
水野龍(国立国会図書館デジタルコレクションより)
〈あっと思う私の首に、しなやかなアンナの両手がかかった。アンナは泣いていた。ボロボロと涙のこぼれ出る目を大きく開いて私を見つめた〉〈「アンナ!」。私の切ない叫びにも耳をかさず、アンナは水桶(おけ)を下げて急ぎ足に、コロニヤの暗闇に消えていった〉
鈴木は農園の日雇いから始め、事務所の雑用係の後、1年余りで書記となった。支配人からは金銭の扱いを任されるほど信用され、〈監督たちからも『ススキ、ススキ』と会うたびに、まず私に呼びかけるくらいの好意を持って待遇されていた〉
水野が手掛けた、笠戸丸による08年の第1回移民船の背景に、鈴木の働きぶりや人柄は見逃せない。
鈴木は、通訳など移民の世話を引き受け、入植地で産業組合を創設。邦字紙の編集にも携わり、日系社会に大きな足跡を残した。
「言葉も満足に通じないところから、誠実な仕事ぶりで信頼を得ていく。気概ある日本人のストーリーをもっと多くの人に知ってほしい」。出石さんはそう願っている。(伊田雄馬)