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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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坂を下って(5)CBK理事長の松原マリナさん 2020/08/06

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「そろそろ後継者を育てないと」と語る松原マリナさん=神戸市中央区山本通3

■「共生社会」実現へ尽力 ポルトガル語の教室とサポート

 しゃきっと伸びた背筋に力強いまなざし。小柄なのに、教壇に立つ姿は大きく見える。海外移住と文化の交流センター(神戸市中央区山本通3)の管理団体、関西ブラジル人コミュニティCBK理事長の松原マリナさん(66)は移民2世。20年以上、日系ブラジル人の子どもたちにポルトガル語を教えてきた。「言葉を学ぶことで世界が広がる」という強い思いの裏には、自身の体験があるという。

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移住ミュージアムに展示されている日本語の教科書=神戸市中央区山本通3

 マリナさんは1920年代に移住した両親を持ち、同じく2世のネルソンさんと結婚した。ネルソンさんが札幌のサッカーチームにコーチとして招かれ、88年に来日。小学1年の長女と3歳の次女を育てる中で、言葉の壁に苦しめられた。

 「娘が学校から持ち帰るプリントを、ほとんど読むことができなかった」

 会話でも、家で話していた日本語は通じなかった。「母がしゃべっていたのは熊本弁だったと、後になって知った」と苦笑する。

 自分のような苦労をしないよう、娘にはしっかり日本語を学ばせなければ-。そう意識するあまり、ポルトガル語を教えることは頭になかった。「今考えれば、少しでも教えておけばよかった。言語はアイデンティティーですから」

 ネルソンさんがヴィッセル神戸ユースのコーチに就任し、95年に来神。「娘にできなかったことを、日系ブラジル人の子どもらに」と、99年にポルトガル語教室を兵庫県明石市内で始めた。同センターに移り、現在は県内外から22人が通う。

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子どもたちにポルトガル語を教える松原マリナさん=神戸市中央区山本通3

 日本語が不自由な人たちのサポートにも関わる。

 法務省によると、県内のブラジル人は約2500人(2019年6月時点)。出稼ぎ労働者が多い愛知県(約6万1千人)や静岡県(約3万人)に比べると少ないが、母語で相談できる窓口として、CBKを頼る人は少なくないという。

 「ブラジルへ渡った日本人移民と状況は同じ。孤立しないよう支援の手を差し伸べることが、『共生社会』への第一歩だと信じています」

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 「移住」から「共生」の拠点へ、時代の変化を映し出す施設。ミナトへと続く坂道を歩きながら、これからも神戸のシンボルであり続けることを願った。(伊田雄馬)=おわり