「そろそろ後継者を育てないと」と語る松原マリナさん=神戸市中央区山本通3
■「共生社会」実現へ尽力 ポルトガル語の教室とサポート
しゃきっと伸びた背筋に力強いまなざし。小柄なのに、教壇に立つ姿は大きく見える。海外移住と文化の交流センター(神戸市中央区山本通3)の管理団体、関西ブラジル人コミュニティCBK理事長の松原マリナさん(66)は移民2世。20年以上、日系ブラジル人の子どもたちにポルトガル語を教えてきた。「言葉を学ぶことで世界が広がる」という強い思いの裏には、自身の体験があるという。
移住ミュージアムに展示されている日本語の教科書=神戸市中央区山本通3
マリナさんは1920年代に移住した両親を持ち、同じく2世のネルソンさんと結婚した。ネルソンさんが札幌のサッカーチームにコーチとして招かれ、88年に来日。小学1年の長女と3歳の次女を育てる中で、言葉の壁に苦しめられた。
「娘が学校から持ち帰るプリントを、ほとんど読むことができなかった」
会話でも、家で話していた日本語は通じなかった。「母がしゃべっていたのは熊本弁だったと、後になって知った」と苦笑する。
自分のような苦労をしないよう、娘にはしっかり日本語を学ばせなければ-。そう意識するあまり、ポルトガル語を教えることは頭になかった。「今考えれば、少しでも教えておけばよかった。言語はアイデンティティーですから」
ネルソンさんがヴィッセル神戸ユースのコーチに就任し、95年に来神。「娘にできなかったことを、日系ブラジル人の子どもらに」と、99年にポルトガル語教室を兵庫県明石市内で始めた。同センターに移り、現在は県内外から22人が通う。
子どもたちにポルトガル語を教える松原マリナさん=神戸市中央区山本通3
日本語が不自由な人たちのサポートにも関わる。
法務省によると、県内のブラジル人は約2500人(2019年6月時点)。出稼ぎ労働者が多い愛知県(約6万1千人)や静岡県(約3万人)に比べると少ないが、母語で相談できる窓口として、CBKを頼る人は少なくないという。
「ブラジルへ渡った日本人移民と状況は同じ。孤立しないよう支援の手を差し伸べることが、『共生社会』への第一歩だと信じています」
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「移住」から「共生」の拠点へ、時代の変化を映し出す施設。ミナトへと続く坂道を歩きながら、これからも神戸のシンボルであり続けることを願った。(伊田雄馬)=おわり