鮮やかな衣装でサンバを踊る神戸まつりの参加者=2019年5月、神戸市中央区
ミナトから六甲山へ神戸市中央区を南北に貫く県道30号、通称「フラワーロード」。人通りや車の往来が絶えることのないこの道は年に一度“開放区”となり、祭りの熱気に包まれる。
神戸まつり。参加者全員が主人公となり、踊りや芸を披露しながら行進する。注目の的は、サンバ。昨年の「おまつりパレード」参加81団体のうちサンバは8チームだけだが、存在感は圧倒的だ。
「国際色豊かで神戸らしい。写真映えがするので、ポスターなどへの露出も必然的に多くなる」。そう話すのは、主催する神戸市民祭協会の担当者。1971年の第1回以来、サンバのイメージはすっかり定着しているが、ふと疑問が湧く。なぜ、神戸でサンバなのか。
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神戸ブラジル協会の設立に尽力した山田芳信さん(87)=同市垂水区=に尋ねると、興味深いエピソードを教えてくれた。
1950年~60年代、国際貿易港・神戸には、ブラジルからも多くの船がやって来た。停泊中、街へ繰り出した船員たちは市民と交流し、中には、船員に招かれ共にサンバを楽しんだ人もいたという。
神戸にはかつてブラジル総領事館があり、サンバを通じた異国間の文化交流が計画されたこともあった。さまざまなルートでサンバが市民に浸透し、67年に始まった神戸まつりの前身、「神戸カーニバル」で一気に市民権を得た。
阪神・淡路大震災の被災地激励のため、神戸まつりに参加したブラジルのサンバチーム=1999年7月、神戸市中央区(オリヴェイラ紀子さん提供)
「日本で初めてサンバが広まったのは神戸だろう。ただ『誰が最初か』という問いに答えるのは難しい」と山田さん。神戸の街にはサンバと出合うチャンスがそこかしこにあった。
ちなみに、国内最大規模の浅草サンバカーニバルは81年スタートで、事務局にルーツを聞くと「喜劇役者らが地域発展のために発案した」とのこと。神戸とは成り立ちが異なるようだ。
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サンバとともに半世紀。その心は今も、脈々と受け継がれている。
本場ブラジル・リオデジャネイロのカーニバルで、花形ダンサーとして活躍してきたオリヴェイラ紀子さん(44)=同市兵庫区=も、自身の原点は神戸まつりにあるという。
「幼い頃から神戸まつりを見て育ち、踊るのが大好きだった。気付けば人生や生活の大半をサンバが占めています」と笑う。神戸でサンバチームを立ち上げ、2001年からパレードに参加している。
阪神・淡路大震災を挟み復活した神戸まつりで、迫力ある踊りを披露するサンバチーム=1996年7月、神戸市中央区
「地球の裏側のリオまで行かなくても、神戸の人に本物のサンバの素晴らしさを届けたい」
神戸からブラジルへ移民船の笠戸丸が出港してから110年余り。ブラジルとの縁は長く紡がれている。(安福直剛)