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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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家失った戦災者受け入れ「神の下に全ての人は平等」 神戸ムスリムモスク 2020/08/12

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「神の下に人は平等」。モスクの歩みを語るムハマド・ジャファルさん

 その祈りの場は焦土の中に建っていた。

 外国人が多く暮らす山手にある、「神戸ムスリムモスク」(神戸市中央区中山手通2)。貿易業を営むインド人やロシア革命で亡命してきたトルコ系タタール人ら、ムスリム(イスラム教徒)が1935(昭和10)年に設立した日本最古のモスクだ。

 空襲による焼け野原に、白く輝く建物は“神の加護”を感じさせるほど、強い印象を残す。

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空襲による焼け野原の中、ぽつんと残る神戸モスク(1945年6月)

 神戸は戦前、日本でイスラム教徒が最も多い街で、30年代には300人以上。シリアやイラク、パキスタンなどの貿易商もいたという。

 彼らがモスク建設の寄付を呼び掛け、チェコ出身の建築家ヤン・ヨセフ・スワガーと竹中工務店により完成。「神戸市の如き国際都市にとって誠に相応(ふさわ)しい」と、勝田銀次郎市長は祝辞を贈った。ドームの先端に三日月の飾りを掲げた多彩な意匠の建物は、ミナト・神戸を象徴する建物として人々に親しまれた。

 だが、戦争が国際都市に暗い影を落とす。ムスリムを含む外国人には監視の目が光るようになり、多くが神戸を立ち去った。モスクは43年、海軍が接収。生活の一部である信仰の場まで奪われた。

 焼夷(しょうい)弾が何度も市街地を襲った戦争末期から戦後にかけて、モスクがどのような様子だったかは、詳しく分かっていないという。

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国内最古のモスクとして知られる神戸ムスリムモスク=神戸市中央区中山手通2

 神戸在住のムスリムの間では、空襲時に地域住民の避難場所となったと伝えられている。神戸モスクでイマーム(指導者)を務めるムハマド・ジャファルさん=パキスタン出身=によると、焼け残ったモスクは、家を失った戦災者を受け入れた。「それぞれの母国から届いた救援物資や果物なども、日本人とも分かち合った」という。

 終戦から50年後-。1995年の阪神・淡路大震災でも、モスクは倒壊することなく、避難所として機能した。一時は40人以上の国の異なるムスリムが身を寄せ、近くの日本人避難者と配給や炊き出しを行った。

 「(神戸は)ムスリムを迫害しない素晴らしい街だと思う」とムハマドさん。「アッラー(神)の下に全ての人は平等です。戦争や地震で困っている人々が、イスラム教徒かそうでないかは関係ないのです」

 二つの大きな災禍をくぐり抜けた神戸モスクには、兵庫県内外から礼拝者が訪れ、あらゆる人に見学の扉を開いている。(杉山雅崇)

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 世界の多様な寺院や教会が共存し、「国際宗教都市」ともいえる神戸。北野・山本地区を中心とする宗教施設を訪ねた。