「考え方の異なる他者の存在が大事」と語る赤波江豊神父=神戸市中央区中山手通1
主聖堂のステンドグラスからこぼれ落ちる柔らかな虹色の光。壁から十字架を背に浮かび上がる、復活のキリスト像-。カトリック神戸中央教会(神戸市中央区中山手通1)は厳かな雰囲気の中にも、包み込むようなぬくもりが感じられる。
開港から150年余り、神戸の歴史や風景を形づくってきたキリスト教文化。異人館街の中心に位置する中央教会は、その歩みを体現するようだ。
中央教会が誕生したのは1999年。「三つの教会を統合して、5年後に主聖堂が再建されたのです」と赤波江(あかばえ)豊神父(63)。95年の阪神・淡路大震災では多くの歴史的建造物が倒壊し、祈りの場も失われた。
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祭壇を囲むように信徒席が並び、開放的な雰囲気の主聖堂
神戸に初めてカトリック教会ができたのは1870(明治3)年。フランスから来日したムニクウ神父が在神外国人のため、旧居留地に聖堂を建築した。
1921(大正10)年、北野地区へ移転し、中山手教会に。2本の塔がそびえる美しいゴシック風建築は広く親しまれたが、45年6月に空襲で被災。神父と信徒2人が犠牲となった。
56年に修復が完成。聖書の物語を描くステンドグラスが聖堂や祭壇を飾った。再び神戸のランドマークとなるも、震災で聖堂は半壊。被災者支援に取り組む中、「以前のように荘厳な教会を建ててもいいのか」と、司祭らは自問した。
震災で半壊した中山手カトリック教会(1995年2月)
10年完成で、県内最古のれんが造りの教会だった下山手教会も震災でがれきと化し、信者の求めで戦後にできた灘教会と共に、司教区の復興計画で統合されることとなった。
そして中央教会は、司祭と信徒が向かい合う円形の聖堂へと生まれ変わった。
「古くからのシンボルは失われてしまいましたが、悔やんでばかりいるわけにはいかない。新しい主聖堂は、前を向く私たちの象徴なのです」。柔和な笑顔で赤波江神父は話す。
長崎出身で2007年に中央教会へ赴任。今年6月に司祭として戻ってきた。イタリアやタイにも赴任した経験から、「国や文化の異なる他者との触れ合いから、自分が何者かが分かるようになる」と語る。
その目には、さまざまな宗教施設が隣り合う神戸の街が好ましく映る。
「考え方が違う中から、より良い考えが生まれる。だから、いろいろな文化、宗教が存在することが大事なのです」(杉山雅崇)