叶地蔵尊にある「キリシタン地蔵」=神戸市中央区中山手通1
世界の宗教施設が集まる神戸市中央区の北野・山本地区。不動坂とパールストリートの角に「叶(かなえ)地蔵尊」(同区中山手通1)はある。ほこらにはお地蔵さま…だと思いきや、形が何だか、ちょっと違う。地域の人からは「キリシタン地蔵」と呼ばれる謎の石造物の正体とは-。(杉山雅崇)
石造物は高さが約60センチの柱状で、上部が少し張り出しており、人物のような像が浮き彫りになっている。
これは、地蔵尊近くの一宮神社の山森大雄美(おおみ)宮司(83)によると、千利休の高弟の大名茶人・古田織部(おりべ)が考案したといわれる「織部灯籠(とうろう)」の一部と考えられるという。
織部灯籠は「キリシタン灯籠」とも呼ばれることがある。「竿(さお)」(石柱)の形が十字架を模しており、潜伏キリシタンの信仰に関連しているという説によるが、否定的な意見の研究者も少なくない。
叶地蔵尊の由来を説明する一宮神社の山森大雄美宮司=神戸市中央区中山手通1
「この地蔵は“異人さん”が持っていたんですよ」と山森宮司。スコットランド人のJ・F・ミッチェルがその人で、幕末に長崎で造船技師として活躍後に来神。異人館の「トムセン邸」を設計したとされる。自宅の洋館は叶地蔵尊付近で、石造物はもともとそこにあったという。
神戸外国人居留地研究会の岩田隆義理事(78)が調査したところ、ミッチェルは1890(明治23)年に神戸に移住し、1903年に没。子孫は外国人向けの葬祭業などを営んでいたが、45年6月の神戸空襲で自宅が全焼、神戸を離れたとみられる。
戦後、業者が宅地開発中にこの石造物が見つかり、住民有志が安置したのが、叶地蔵尊。「黒っぽいのは空襲の火災で焼けたからでは」と山森宮司は推測する。「長崎から神戸に運ばれてきた可能性もある。長い旅路をたどってきたのかもしれませんね」
今も多くの人々が足を止めて手を合わせる地蔵尊。開港場の雑居地らしい歴史を秘めたスポットに、ぜひ一度足を運んでみては。