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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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ハイカラの源流 KR&AC150年(2)創設者シム 2020/09/10

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クラブハウスの歴代会長の銘板=神戸市中央区八幡通2

 三宮・東遊園地(神戸市中央区加納町6)の南西角に、高さ4メートルほどの石碑は緑に包まれて立っていた。

 台座に刻まれた名前は、アレキサンダー・キャメロン・シム(1840~1900年)。関西最古のスポーツクラブ「神戸レガッタ・アンド・アスレチック・クラブ(KR&AC)」の生みの親だ。元々この地にあったクラブハウスを模した公園管理事務所が、往時の活気をしのばせる。

 シムは英スコットランド出身の薬剤師。王立ロンドン病院から香港の海軍病院を経て、1870(明治3)年6月に神戸へやって来た。クラブの創設を居留地の外国人に提案したのは、そのわずか3カ月後のことだ。

 「シムは、香港や上海でボートや陸上競技に本格的に取り組んでいる。来日する前から既にクラブの構想があったのではないか」と神戸外国人居留地研究会理事の高木応光(まさみつ)さん(74)。コミュニティーの核となるスポーツクラブをいち早く、極東の地に移植した先見性を高く評価する。

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ラムネの製造・販売でも名を残すシムの顕彰碑=神戸市中央区加納町6

 クラブハウスは日本軍や進駐軍の接収、神戸空襲による焼損と、時代の荒波をくぐり抜け、1962年に磯上公園(八幡通2)へ新築移転。阪神・淡路大震災にも耐え、150年の歴史を刻み続けている。

 クラブハウスに足を踏み入れ、きしむ階段を上る。1階にレストラン、2階にはバーがあり、体育館は3階だ。

 「昔はバーテンダーが常駐していて、運動した後はみんなで酒を飲みながら話し込んだものだ」。2010年から約1年間、会長を務めたインド人のセティー・ダランビア・シンさん(59)が懐かしむ。

 貿易商の父親や叔父に連れられて、幼少期からクラブに通った。20代前半に父の紹介で入会し、ホッケーやバドミントンを楽しむ。「昔は、神戸に住む外国人は入会するのが当たり前だった。今より娯楽が少ない時代だったからかもしれないが」としみじみ語る。

 階段の踊り場には、歴代会長の名前がずらりと並ぶ銘板が飾られている。だがそこに、シムの名前は見当たらない。

 「シムは亡くなるまで会長職には就かなかった」と高木さん。はっきりした理由は不明だが、シムの功績はスポーツだけではないと指摘する。

 消防隊長として居留地を守り、1891(明治24)年の濃尾地震では義援金を集め、現地で配給に従事した。96年の明治三陸津波でも、救援に尽力。「シムの目指した社会的活動が、クラブの枠に収まらなかったからかもしれない」

 外国と日本の友人の手で建てられた碑は、こう記す。「公平誠実、公共の事業に力を尽くした」と。(西竹唯太朗)

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