それは奇妙なホテルであった。
神戸の中央、山から海へ一直線に下りるトーアロード(中略)の中途に、芝居の建物のように朱色に塗られたそのホテルがあった。
私はその後、空襲が始まるまで、そのホテルの長期滞在客であったが、同宿の人々も、根が生えたようにそのホテルに居据わっていた。
(西東三鬼(さいとうさんき)「神戸」より)
トアロードにある「中華会館」。この場所に、西東三鬼が滞在したホテルがあったとされる=神戸市中央区下山手通2
主人公の「センセイ」は日がな一日、2階部屋の窓からトアロードを行き交う人を眺めて過ごしている。文無しのエジプト人に闇屋の台湾人、バーのマダムと同宿人も「非国民」ぞろい。金や恋愛や戦時体制を巡る厄介ごとに振り回されながらも、戦時色にあらがう人々に共感を寄せる。
連作「神戸」「続神戸」の主人公には、作者の体験が色濃く反映されている。新興俳句運動の旗手だった三鬼は、治安維持法違反で逮捕され活動を絶たれる。東京の仕事も妻子も捨て、流れ着いたのが神戸。ホテルが空襲で焼けると山本通の異人館に移り、戦中戦後の5年間を生き延びた。
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「西洋文化に囲まれて育った」と話す濱崎加代子さん=神戸市中央区北野町2、英国館
三鬼は、開放的で他人に干渉しない、神戸のコスモポリタンな感覚を好んだ。
1909年建築の異人館「英国館」(神戸市中央区北野町2)のあるじでオペラ歌手の濱崎加代子さん(64)も、幼い頃から国際性を感じながら育った一人だ。
街中にはインドのサリーやユダヤの黒い帽子、朝鮮のチマ・チョゴリが、自然と溶け込んでいた。幼稚園の隣にはゴシック様式の教会があり、家の窓を開ければ隣のイタリア人少年と目が合った。
「異国情緒とも感じない日常風景だった」と笑う。
英国館は、ドイツ人医師フデセック氏の旧邸で、そのパートナーが濱崎さんのおばに当たる。幼少期から「自宅のように出入りし、庭で犬と遊んだ」濱崎さんが今は受け継ぎ、一般公開している。
異人館街は、観光地化が進んだ。三鬼が「西洋化物屋敷」と呼んだ異人館も、残っていない。多国籍の船員らがあふれ、濱崎さんが「一人で近寄ってはいけないと親に言われた」ミナト特有の雰囲気も昔の話だ。
三鬼の描いた「奇妙な人物」たちの居場所は、今はなくなったようにみえる。だからこそ、個性的な人々の織り成す人間模様には、再読のたびに笑みがこぼれる。(伊田雄馬)