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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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薫る街 ビルに残る名店の記憶 2020/11/06

 コーヒーと喫茶店は、港町によく似合う。それは、開港とともに開けた神戸の元町・三宮を語るには欠かせないモダン文化の一つ。コーヒーの一大生産地・ブラジルへの移民の窓口だったことも、見逃せない。神戸でフリーペーパー「甘苦(あまにが)一滴」を発行する田中慶一さん(45)の案内で、“薫る街”へと旅に出た。

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喫茶店の歴史を名前に刻む「パウリスタビル」=神戸市中央区三宮町2

 コーヒー生産量世界一を誇るブラジル。日本でコーヒーを広めたのが、「サンパウロっ子」の名を持つ「カフヱーパウリスタ」だ。

 「東京・銀座の店は今も有名だが、神戸にも支店があった」と、コーヒーライターの田中慶一さん(45)。その成り立ちは、ブラジル移民史抜きに語れない。

 創業者の名は、水野龍。1908(明治41)年、神戸を出航した第1回移民船・笠戸丸で、781人をコーヒー農園へ送り出した。“移民の父”とサンパウロ州政府は、コーヒーの無償提供と販路拡大のための店舗展開を契約。11年に大阪・箕面に1号店、同年末には銀座へ出店した。

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パウリスタを設立した水野龍(日伯協会提供)

 「神戸三宮喫店」がトアロードにできたのは翌年。パウリスタの資料を探索している「日伯協会」(同市中央区山本通3)によると、木造の洋館だったという。

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1921年ごろの「カフヱーパウリスタ」(「神戸開港五十年誌」より) 

 コーヒーは1杯5銭と安価で提供され、学生からも人気を集めた。後に作家となる今東光や稲垣足穂も、原田の森(灘区)にあった関西学院の中学部時代に来店。踏切の近く、トアロードの東側にあった店の思い出を書き残している。

 「その後、火災に遭い、建物も場所も変わります」と田中さん。21年に三宮神社の北側に再建された店は大理石を使った地下1階、地上3階建てで目を引いたという。

 23年に関東大震災の打撃を受け、コーヒーの無償提供が終わると、各地の支店は独立。再度の火災後、33年6月に新築された「神戸パウリスタ」は神戸新聞の広告で「華麗な外観はまさにわが港町の一大魅惑」「価格は最低限度の奉仕的廉価」とアピールしている。

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33年に新築された「神戸パウリスタ」(日伯協会提供)

 1階が喫茶店、2階がレストラン、3階が宴会場という近代的ビルは空襲を免れ、進駐軍のダンスホール代わりとなった。神戸一中(現神戸高校)でジャズを始めた故高島忠夫さんはエッセーで、加入したバンドの一つにパウリスタのバンドを挙げている。

 今その場所にあるのは、スポーツ量販店などが入るオフィスビル。だが「名前に注目してほしい」と田中さん。よく見ると、ビルの名前は「パウリスタビル」だ。ビルのオーナー池本優さん(68)によると、77年に建て替え。地下で営業していたパウリスタは80年代に閉店し、UCC上島珈琲が後に入っていたという。

 ビルに残る名店の記憶。残り香を求めて歩くのも悪くない。(小谷千穂)