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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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中央区に残る「葺合」の地名 誤字から生まれた? 2021/02/03

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葺合の地名をとどめる郵便局=神戸市中央区吾妻通1

 国道2号を東に行けば、兵庫県警葺合警察署に葺合郵便局。新神戸駅を東に曲がると、葺合中学校に葺合高校-。

 神戸市中央区が発足して40年がたった今も、区の東部には「葺合区」が存在したことを示す施設が残っている。だが、そもそも「葺合」の地名の由来とは?

 「実は『葺合』の地名が公に出てくるのは、近世になってからです。しかも、それは“誤字”から生まれた可能性が高いといわれています」。郷土史に詳しい姫路独協大副学長の道谷卓(たかし)さん(56)はそう話す。

 道谷さんによると、現在の神戸市東部を含めた西摂の海岸地域一帯は古くから「芦(あし)の屋(芦屋)の里」と呼ばれていたという。

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藤原基家の「あしのやの-」の歌碑=神戸市中央区葺合町

 鎌倉中期の歌人藤原基家も「あしのやの砂子の山のみなかみを のほりて見れは布ひきのたき」と和歌に詠み、歌碑が布引の滝へのハイキングコースにある。

 中世に入ると、芦屋の里に「葺屋(ふきや)荘」という荘園が出現する。これは、「芦」と別の字の「葦(あし)」が、字体が似ている「葺(ふき)」に何かの拍子で入れ替わったというのだ。「葺屋荘」の成立以降の鎌倉末期になっても、「葦屋荘」と書かれた古文書があるというから複雑である。

 しかし、「葺」が間違いから生まれたにせよ、まだ「葺合」ではない。江戸時代の文献や地図を見ても、村の名前に見当たらない。葺合村が誕生したのは明治の初めで、生田や熊内、脇浜などの旧7カ村が合併。1887(明治20)年には筒井村を併合し、2年後に神戸市に編入された。区制が敷かれ「葺合区」となるのは、1931(昭和6)年のことだ。

 「葺屋(かやぶき農家)は『吹屋』(屋根のない家)に通じ、縁起が悪いと思われていたようです。そのため、『葺』が『合』わさるという意味も込めて、合併に際して改称したと考えられます」

 こうした変遷を経て成立した地名も、現在は山間部の葺合町に残るだけ。少し寂しい気もするが、区名が消えた後も、住民の日々の暮らしは変わらない。下町らしい商店街や市場に足を運んでみることにした。(安福直剛)