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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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生田と二宮 二つの神社を結ぶ象徴「御幸石」 2021/02/23

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二宮神社の本殿前にある「御幸石」=神戸市中央区二宮町3

 生田神社を取り囲むように鎮座する「裔神(えいしん)八社」。その中で唯一、旧葺合区にある二宮神社(神戸市中央区二宮町3)には「御幸(みゆき)石」と呼ばれる石があり、生田さんにまつわる伝説を今にとどめる。

 御幸石が祭られているのは本殿前。20センチほどの厚みがある。「1800年以上前の話になりますが…」と説明してくれたのは宮司の山西乙平(おとひら)さん(83)と禰宜(ねぎ)の康司さん(51)。山西家は、近世まで生田神社の神職だった後神(ごこう)家を祖とする。

 「日本書紀」によれば、神功(じんぐう)皇后が朝鮮半島に出兵した「三韓征伐」の帰途、船が進まなくなり、神託を受け稚日女尊(わかひるめのみこと)を祭ったのが生田神社の始まりという。当初は布引の砂(いさご)山(別名・丸山)に建立し、八社にも巡拝したといわれるが…。

 「その頃の当社はまだ、場所も名前も不明確です。恐らく地元で信仰されていた小さなほこらで、二宮という名前が付いたのはずいぶん後のことでしょう」

 砂山が延暦18(799)年に洪水に見舞われた際、ご神体を救ったのが、二宮周辺に住む刀禰(とね)七太夫なる人物。屋敷に運んで安置した庭石こそ「御幸石」だという。

 七太夫はご神体を背負い鎮座地を探し回り、神意を受けたのが現在の生田神社の地だと由緒にはある。

 「新たな神社を創建するのは簡単なことではない。それを考えると、刀禰家が相当長い間預かっていたと考えられます」

 ご神体はいったん二宮神社に移されたとも、別の旧家に託されたとも伝えられており、確かなことは分からない。だが、生田神社にはかつて、七太夫の功績を伝える神事があり、刀禰家が重要な役を担っていたことは間違いないようだ。

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正月に飾られる生田神社の「杉盛」=神戸市中央区下山手通1

 また、生田神社は境内に松がなく、正月には門松に代わって「杉盛(すぎもり)」を飾る。これも、洪水で松が倒れて社殿が被災したことによるという。

 「今でも御幸石にお参りされる方がいらっしゃる。大切に守っていきたいですね」と山西宮司。単なる石と思うなかれ。御幸石は、葺合の歴史を伝える宝物。(安福直剛)