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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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清流への道(中)産業育んだ水車が点在 2019/01/29

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かつての水車を復元した「灘目の水車」=東灘区住吉山手4

 住吉川の水源から約1キロ下った場所にある砂防ダム「黒岩谷副堰堤」(標高約650メートル)の近く、兵庫県芦屋市境に不思議な名前の峠があると聞き、足を運んだ。「土樋割峠」。この地は江戸時代、東灘と芦屋住民との水争いの舞台になったという。

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江戸時代に東灘と芦屋住民の水争いの場になった「土樋割峠」=神戸と芦屋の市境

 1827(文政10)年、住吉川下流にある6カ村の村人は、川の水量が減ったのを不審に思い、調査のため上流に上った。すると、芦屋川へと続く渓流に水を引くための土樋(土管の桶)が設置してあるのを発見した。憤慨した東灘の若者が土樋を破壊。設置した芦屋住民が大坂町奉行所に訴える騒動に発展した。歴史の一幕が、峠名として今に伝わる。

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住吉山田まちづくり協議会会長の内海清二さん=東灘区住吉山手4

 六甲のきつい傾斜は、大きな水力を生み出し、住吉川流域には、多くの水路が引かれ、水車が点在した。

 「この一帯は水車の大規模工業地帯で、水路はその動脈だった。灘の酒造りにも欠かせなかった」と住吉山田まちづくり協議会の内海清二会長(69)が説明する。

 酒米は、この水車で精米され、南部の酒造家に運ばれた。精米以外にも菜種、綿種の油搾りにも活用された。江戸末期から明治、大正時代にかけては素麺の一大産地として栄えた。この地で作られた「灘目素麺」は奈良県の「三輪素麺」と並ぶ全国ブランドで、「揖保乃糸」のルーツもこの地にたどれるとの話が残る。

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当時の水車を再現したミニチュア模型=神戸市東灘区住吉宮町7、住吉歴史資料館

 電力の普及とともに減少し、1979(昭和54)年に最後の水車が火事で焼け、姿を消した。現在は山田区民会館(東灘区住吉山手4)近くに復元した大小一対の「灘目の水車」が往時をしのばせる。(村上晃宏)

【水車】明治~大正時代には80余棟の水車小屋が建ち並び、約1万の石臼があったと言われる。精米された酒米は「ごろた車」に載せられ、牛が街まで運んだ。牛が足を踏み外して谷に落ちることもあり、その供養塔が住吉霊園に残る。