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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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お城なくても「城ノ前」なぜ? 地域に残る深い愛着 2019/03/31

記事

 神戸市東灘区を流れる石屋川の近くにある交差点やマンションの名前に使われている「城ノ前」。だが、どこを見渡してもお城はない。調べてみると、御影のそこかしこに残る城の片りん。兵庫県の姫路や明石と比べ、神戸は城への愛着が薄いようにみえるが、かつて存在した城に、地元の人たちが愛着を持っていたことがうかがえる。

 「御影村城観応年間平野氏拠焉」

 江戸時代享保年間の地域誌「摂津志」にある一節。観応は南北朝時代の北朝の元号で、平野氏という武士が御影村の城を拠点にしていたことを記している。

 姫路独協大副学長の道谷卓(たかし)さん(54)によると、この城は同時代の武将赤松円心の家臣だった平野忠勝が築城。「御影城」または「平野城」と呼ばれ、御影北小や御影霊園の周辺が本丸で、深田池を堀にした堅固な城だったと推定される。いつ廃城になったかも明確ではなく、詳細はよく分かっていないらしい。

 「城ノ前」はいつしか字名から消えたが、近くには今も「大手筋」という交差点があり、城の先端を示す「滝ケ鼻」という地名もあった。「神戸は港町で、お城が身近でない分、かえって親しみが大きかったのでは」と道谷さん。「名前が残っていると、城の存在をたどることができる。地名に残るほど愛された城が御影にあったことを知ってもらいたい」と話す。

 皆さんの近くで、なぜ?と思う地名はありませんか。調べてみると、知らなかった地元の側面がみえてくるかもしれません。(長沢伸一)