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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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貨物駅から大規模住宅に 震災被災者支えたキャナルタウン 2020/01/14

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 東西に延びる細長い敷地に、超高層を含む16棟のマンションが建ち並ぶ。低層部にはかつてこの地にあったレンガ倉庫をイメージした赤レンガが。中央を走る人工の川は、神戸市兵庫区内を流れる運河をモチーフにつくられ、マンション名も運河を意味する英単語「キャナル(canal)」に由来する。敷地内には図書館、レストラン、食品スーパーなどもそろう。

 1999年に全戸が完成した「キャナルタウン」。東からイースト、中央、ウエストの3ブロックに分かれ、部屋数は計約1700戸に上る。JR兵庫駅前の一等地にこれだけの大規模住宅ができた経緯には、工業拠点だった和田岬の歴史が関係している。

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 和田岬線が1890(明治23)年に開通後、兵庫港と鉄道本線を結ぶ位置にあった同駅には機関車や機材が運び込まれた。駅南側には約5・5ヘクタールもの兵庫貨物駅が建設され、貨物ターミナルとしての役割を果たすようになる。

 だが1960年代、自動車の普及により陸上貨物輸送の中心が鉄道からトラックへと移った。時代の変化に対応すべく、国鉄(現・JR)は神戸港などのコンテナ基地を除く貨物駅の廃止に踏み切る。84年に同駅は役目を終えると、敷地は神戸市に譲渡された。

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 残された広大な跡地に、市と市住宅供給公社、住宅・都市整備公団(現・UR)が建設したのがキャナルタウンだ。地域の活性化拠点として期待されたが、95年に阪神・淡路大震災が発生。計らずも、家を失った被災者の住宅需要に応えることとなった。

 「借り上げ復興住宅」となったのは、部屋数が1200戸と最も多かったウエストだ。市と県はURから、最大時に計約650戸を借り上げて、被災者に提供。復興住宅と公団の一般入居者が混在する形となった。

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 「やっと安住の地を手に入れた」

 そんな被災者の思いをよそに、返還期限の20年は刻一刻と過ぎた。ウエストでは2016年1月、市内の住宅でいち早く期限を迎え、明け渡しに応じなかった住民を市が提訴する事態に発展した。

 発災から四半世紀、高齢化や返還問題で被災者の入居者数が減り、住民同士の絆が希薄化する。

 実は私も、昨春からウエストで暮らす住民の一人だ。最も身近な「復興住宅」のありようを知りたい、今を考えたい-。そんな思いから、完成当初からウエストで暮らす住民らに取材を始めた。(伊田雄馬)