People People

M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

Kobe
People People People

兵庫区の永沢町1丁目はどこへ? 消えた謎に迫る 2020/01/27

記事

 マンスリーのネタを探そうと神戸市兵庫区の地図をまじまじと眺めていると、あることに気が付いた。新開地の南西に広がる永沢町は、西側から4、3、2丁目と続くが、1丁目が見当たらない。丁名表示は「1」から始まるものだと思い込んでいただけに、頭の中は「? ? ?」。最初からなかったのか。それとも途中で消えたのか。「永沢町1丁目」の謎に迫った。(川村岳也)

 まずは、中央図書館(同市中央区)で住宅地図を閲覧した。1973年の兵庫区の地図には、現在のJR神戸-兵庫間の南側に永沢町1丁目が存在する。77年にはそのエリアが約半分となり、93年には消滅している。

 なぜなくなってしまったのか。今度は兵庫区役所に聞いてみた。

記事

 「住所の表示を分かりやすくするため、建物などに番号をつける『住居表示』が実施されたためです」と総務課の担当者は話す。

 同課によると、永沢町1丁目は75年8月に東半分が兵庫町2丁目に。残った西半分も92年7月、三川口町1丁目となったという。

 それでは、なぜ他の町に取り込まれることになったのか。住居表示を担当する市役所の市民参画推進局住民課の担当者は「当時の資料が残っていないので」と前置きした上で「これは推測ですが…」と切り出す。

 住居表示を行うにあたっては、道路や川など、区切られるところで区切るという決まりがあるという。当時、丁内の真ん中に道路があった永沢町1丁目は、その道路を境に東(兵庫町2丁目)と西(三川口町1丁目)に統合されたのでは-と話す。

      □

記事     

 消えた1丁目問題を地元の人たちはどう見ているのか。「ここで生まれたから、1番知ってる」と話す柳原蛭子神社名誉総代の河北文二さん(89)=神戸市兵庫区=に経緯を尋ねた。

 「戦後、三川口町や永沢町など一帯で区画整理が行われた後、地域内でさまざまな町名が入り交ってしまった」と河北さん。そこで住居表示によって整理しようとしたが、「(その際)面積の小さかった永沢町1丁目は、面積の大きかった町に吸収されることになった」と説明する。

 ただ、永沢町1丁目の住民からは反対の声も上がったと振り返る。「無くなったら困るという人もいた。愛着があったからね」と河北さん。結局、多数決を取って三川口町1丁目への統合が決まったという。

 永沢町1丁目がなくなってから2年半後、阪神・淡路大震災が発生、かつて同丁だったエリアは大きな被害を受けた。現在は、街に1丁目があったことを示すものはほぼ残っていない。史料と人々の記憶のみが、かつての歴史を伝えている。