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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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“最後の福原芸者”と往年の姿しのぶ 神戸・新開地を散策 2020/03/14

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 神戸開港から間もない、明治初年にさかのぼる花街・福原(神戸市兵庫区)。今では風俗街との印象が先立つが、かつては唄や三味線などで客をもてなす「芸者」の町でもあった。宴席に興を添えた女性の数は、最盛期で約千人を数えたと伝えられる。戦災、売春防止法施行、バブル崩壊、阪神・淡路大震災…。時代の波と共に、お座敷遊びが廃れゆく中、花柳界の風情を今に伝える“最後の福原芸者”小広さんの案内で、往年の福原の姿をしのんだ。(千葉翔大)

 午後2時。福原桜筋沿いにある金刀比羅宮神戸分社の前に、小広さんはいた。落ち着いた草花模様の着物に、きりりと締めた黒地の帯。きれいに髪を結い上げた小粋なたたずまいに、記者の背筋もぴんと伸びる。

 小広さんは長崎県出身。中学卒業後、家族に仕送りをするため、憧れのあった花柳界で働くことを選んだ。神戸に移り住み、半世紀以上にわたり、踊りなどの芸事を座敷で披露する傍ら、15年ほど前からはスナックも経営してきた。

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■遊郭

 湊川河口の高浜新田に開業した福原遊郭が、鉄道敷設のため現在地に移転したのは1871年。「福原遊郭沿革誌」(1931年)には、31年時点で1320人の遊女がいたと記されている。

 「遊女で最高位の太夫さんが町を練り歩く『花魁道中』があったそうよ」と小広さん。神戸まつりの前身で33年に始まった「みなとの祭」では呼び物の一つで、前結びの豪華な帯に高げたを履き、「八」の字を描くようにしゃなりしゃなりと歩く太夫の姿に、見物客が殺到したという。

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■検番

 こんぴらさんを出発し、福原桜筋を歩く。目指したのは、小広さんの思い出の場所だ。

 「あれ。どこだったかしら」。5分ほど歩いたところで、小広さんがきょろきょろと辺りを見回す。

 「ここだ! 景色が変わって分からなかった」。視線の先には、4階建て鉄筋コンクリート造りの住宅型有料老人ホーム。この場所にかつて、「福原共立検番」があった。

 検番は、芸者の取り次ぎなどをする事務所。小広さんが働き始めた1965年には、約300人の芸者が在籍していたという。

 「長唄や日本舞踊の稽古をつけてもらうために、朝5時から予約を取り合った」。小広さんは建物を見つめる。

 「ここが玄関で、壁は源氏名を書いた木札で埋まってね」。自然と身ぶりが大きくなる。ただ、小広さんの小さな手が指す先にあるのは、老人ホームのベランダだ。

 「一人、また一人といなくなって。気付けば私だけになっていた」。建物から目を離さずに、感慨深げに語る。その目には、在りし日の福原かいわいが映っているように思えた。

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