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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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清盛お気に入りの地 神戸・平野は「天然のとりで」 2020/04/05

 和田岬から新開地へと北上し、街の今昔を訪ねてきた「兵庫マンスリー」もいよいよ大詰め。副題の「古都回遊」にふさわしく、平清盛が福原京を置いた神戸市兵庫区の平野かいわいへ。まずは、郷土史家で街歩きの達人、吉田昭彦さん(86)の教えを仰ぎ、“清盛の目”から平野の地形を読み解きたい。(伊田雄馬)

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 吉田さんは、清盛の別荘・雪見御所(ゆきみのごしょ)跡にほど近い都由乃(つゆの)町に住むこと80年以上。大手鉄鋼会社に在職中は、社内の歴史サークルで活動し、退職後は地域の観光ガイドを長く務めてきた。今も、後進の育成に携わる「ガイドの中のガイド」だ。

 平家の栄華を築いた清盛は1180年、日宋貿易の窓口だった大輪田泊(おおわだのとまり)を見下ろす平野の地に都造りを計画。いわゆる「福原遷都」だが、わずか半年で源氏の挙兵に対応を迫られ、再び京へ戻ることになった。

 遺跡や出土した宋代の陶磁器、社寺や湯屋跡など、平野地区には福原京にまつわる史跡や伝承が残る。

 雪見御所を構えたのは、1169年。「清盛は10年間も平野に暮らしていた。この地を気に入っていたということでしょう」と吉田さん。なぜこの場所に目を付けたのか。「その理由が一目で分かる」と、ある場所に案内してくれた。

 近くの高台にある老人福祉施設。急な坂を車で上り、顔なじみの職員に断って敷地に入ると、平野が一望できる。「山が連なっているのが分かるでしょう。ここは南以外の3方向を山に囲まれた盆地なのです」

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 六甲山系を背に大倉山や会下(えげ)山などの丘陵が「コの字」に並ぶ地形は、北風を遮るため温暖で過ごしやすい。その上、敵からの攻撃に備えやすいというメリットもある。

 「清盛は神戸の地形をよく観察し、この天然のとりでに目を付けたのではないか」と吉田さんは推測する。

 福原遷都の際に再興した明要寺(北区山田町)は、「西の比叡山」になぞらえ、月参りをしたと伝えられる。「神戸を京都と重ね合わせていたのかもしれませんね」。石井川東岸から北に延びる烏原(からすはら)古道が、参詣のルートだった。

 次に向かうのは、石井川と天王谷川が新湊川に注ぐ合流地点。吉田さんいわく、「川」こそ、清盛がこの地を選んだもう一つの理由なのだという。