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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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かつては命がけの険路 有馬街道の昔の地名を調査 2019/08/14

記事

 「街道を行く」。その名の通り、神戸市北区の“大動脈”である有馬街道を北へ、北へと歩を進める。まずは起点、終点からおさらいしたい。皆森交差点(同市北区山田町)まで重複する国道428号の起点(同市中央区)が「有馬道」のため、混同しやすいが、現在、一般的に有馬街道と呼ばれているのは兵庫県道15号神戸三田線。同市兵庫区平野町を起点に日下部交差点(北区道場町)までだ。ただ、有馬街道をネット検索すると「神戸・大阪から有馬温泉に至るまでの街道の名称」と表示され、この神戸三田線を含め、主に四つのルートを指すという。(西竹唯太朗)

 「昔は車はおろか、歩くのも難しい険路だったと聞く」。山田民俗文化保存会の宮脇三明会長(75)が口を開く。

 現在の神戸三田線は、「天王谷越え」と呼ばれ、その道幅はわずか6尺(1・8メートル)ほどだった。さらに険しくなる箇所もあり、川を飛び石伝いに何度も渡らなければ、通れない難所も数多くあったという。

 沿道の交差点には、その名残を感じさせる昔の地名標識や看板が並ぶ。

 小部トンネルを抜けてすぐの交差点で標識を見上げると、「水呑」の文字が。「険しい山道を越えてきた旅人が喉を潤したという伝承からこの名が付きました」と宮脇会長。ここは、旅人同士が産物を交換し合う場所としても栄えたという。

 続く交差点の「二軒茶屋」には、昭和初期まで2軒の茶屋があったといい、再び険路に入る前に休憩した場所とされる。

 小部峠を越えると、一転、下り坂。その道中には現在の町名にまったくなかったり、字名にしか登場しなかったりする標識がある。

 「大正坊」=平安期以降、この地に宿坊があったことが由来だという。1500年代後期に、播州征伐で三木城主の別所長治を豊臣秀吉の軍が攻めた際に焼かれた。

 「皆森」=平安期、源義経勢が一ノ谷に向かう際、村人らが軍勢「皆」に飯を「盛って」もてなした。のちに「盛」が「森」になったと伝わる。

 「芝床」=“芝”は台地を削って最初に集落が築かれた場所-などの伝承が残るという。

 阪神高速北神戸線の箕谷ジャンクションを越え、旧山田村の東端が近づいてきた。有馬へはまだまだ遠い。湯治に商売、理由は数あれど、命がけでこの道を越えた先人たちに思いを寄せた。