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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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1100年超の歴史持つ須磨寺、正式名称は上野山福祥寺 2019/05/31

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 山陽須磨駅(神戸市須磨区)を下車し、須磨寺を目指して散策道「智慧の道」を北に歩く。龍華橋を渡り、平安時代末期の武将・源頼政が再建した仁王門をくぐると、静かなたたずまいと厳かさにしばし圧倒される。

 須磨寺は仁和2(886)年、光孝天皇の勅命で聞鏡上人が創建したことが始まりとされる。

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 時は同じく平安時代、歌人の在原行平が須磨に左遷された。須磨寺には行平が須磨の浜辺で手にした一枚の板に、一本の弦を張った「須磨琴」(一弦琴)を作ったという伝説が今も残る。

 本堂に向かう途中、馬にまたがる2体の武将をかたどった銅像が目にとまった。地区一帯は、源平合戦の中でも最も有名な「一の谷の戦い」の舞台として知られる。1960年代にはNHK大河ドラマ「源義経」の影響で“源平ブーム”が訪れ、須磨寺を訪れる観光客が増えたという。

 銅像は平清盛のおい・敦盛と源氏方の熊谷直実の一騎打ちの様子を再現。死を前にする敦盛と、自身の息子ほどに若い武将を討ち取らねばならない直実の心情は、悲哀の物語として語り継がれている。

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 ところで、須磨寺の正式名称は「上野山福祥寺」ということをご存じだろうか。副住職の小池陽人さん(32)は「江戸時代ごろから、『須磨のお寺』という縁で『須磨寺』と呼ばれるようになった」と説明する。ところが通称名がすっかり浸透してしまい、地域住民も正式名にあまりなじみがないとか。

 小池さんは「交番で『福祥寺を探している』とたずねてきた女性に、おまわりさんが『須磨寺で聞いてみて』とアドバイスした、という笑い話もあります」と目を細める。

 阪神・淡路大震災では本堂などに大きな被害を受けた。境内には震災追悼碑があり、毎年1月17日には法要が営まれている。

 ところで寺を歩くと、ユニークで愛らしい石仏や、音がなる仕掛けの石碑などの「おもろいもん」が点在する。敷居の高いイメージのあるお寺に、クスッと笑える置物があるその理由とは-。詳しくは、後日に紹介する。

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 かつて「摂津国の最果て」と称された神戸市須磨区。1100年以上の歴史を持つ仏教寺院・須磨寺は歴史好きの観光客から親しまれる一方、お寺と地域をつなぐ取り組みも深い。「歴史」「国際交流」「おもろい」などをテーマに須磨寺の魅力に迫る「須磨寺解体新書」を5回にわたってお届けする。(久保田麻依子、長沢伸一)