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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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須磨離宮公園を探訪 空襲で焼失、元は皇室の別荘 2019/05/28

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 広場に1列に並ぶ大小11基の噴水。近くで親子連れがたわむれ、観光客が色鮮やかなバラを眺めている。約83ヘクタールの敷地に広がる須磨離宮公園(神戸市須磨区)。さらに園内を歩くと歴史を感じさせる和風の門やれんがのトンネルが現れる。「空襲で焼けるまで皇室の別荘『武庫離宮』でした。門やトンネルはその遺構です」と同園の高田浩二副園長(63)が説明する。トンネル内に立ってみた。近くを走る阪神高速の喧騒が嘘のような静けさが広がる。目を閉じ、武庫離宮が造られた約100年前に思いをはせた。(長沢伸一)

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 西本願寺法主、大谷光瑞の別邸があった場所に武庫離宮が完成したのは1914(大正3)年。当時園内には千本以上の松やオリーブの木などが植えられ、その中心に総ヒノキの2階建て御殿があった。

 「体が弱かったとされる大正天皇のために造られたのでしょう」と高田副園長。淡路や大阪湾までも見渡せる眺め、静かで温暖な気候などから別荘地として選ばれたとされている。

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 庭園は新宿御苑の整備で知られる福羽逸人が手掛けた。全国にあった皇室の離宮を「特徴がない」と考えていた福羽。植物を武庫離宮のシンボルにしようと考えた。特にオリーブは、体に良いオイルを作り、天皇の食事に提供するための選択。他にもピクルスの材料となるケッパーやピスタチオの実をつける木も植えている。

 ただ、武庫離宮が皇室の別荘としての役割を果たす機会はほとんどなかった。大正天皇が訪れたのはわずか3回で、宿泊も2回。昭和天皇も皇太子時代の1回のみだ。35年には中国・清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)”当時満州国皇帝”が滞在したとの記録は残るが、45年3月の神戸空襲で焼失し、その姿を消した。

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 戦後は神戸市の管理に移り、米軍の射撃場にも使われた。その後、当時の皇太子(現上皇)さま成婚記念事業として整備され、67年須磨離宮公園としてオープンした。翌年には上皇ご夫妻が来園している。

 「今後時間が経てば、一層興味深い、関西における雄大な離宮庭園が完成するだろう」

 福羽は『回顧録』にこのように記す。武庫離宮竣工から今年で105年。公園内には約180種4千株のバラをはじめとする多くの植物が育つ。現在の公園は、福羽の目にどう映っているだろうか。

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