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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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幻の社交場、藤田ガーデン 神戸・須磨にあったその面影探る 2019/06/25

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当時の藤田ガーデンの様子=須磨区潮見台町(梅宮弘光教授提供)

 「須磨駅近くの高台」「藤田ガーデン」「藤田男爵」「古き時代の社交場」「今はマンション」-。投稿にあるキーワードを頼りに取材を進め、たどり着いたのが、長州出身で明治時代の実業家・藤田伝三郎(1841~1912年)の別邸(神戸市須磨区潮見台町)だ。今はれんが色の大規模マンションになっているが、明治期には政財界人を招く迎賓館として、戦後は御婦人らが集う社交場として名をはせた。御殿と庭園合わせ敷地の広さは何と約8千坪とも。その面影を探った。(長沢伸一)

 NPO法人「須磨歴史倶楽部」の西海淳二さん(67)と一緒に跡地を巡りながら説明を受けた。

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ガーデンから見た須磨の海(同)

 「藤田男爵と呼ばれ、大阪で鉄道建設や琵琶湖疏水工事、鉱山、紡績、電力、銀行などの近代的新事業を立ち上げた実業家。神戸では山陽鉄道(現JR山陽本線)建設や湊川付け替え工事の実績がある」

 -なぜ須磨に別邸が?

 「山陽本線を見下ろす高台に御殿を造りたかったのでは。ただ男爵の死後、迎賓館として使われることは少なくなったようだ」

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庭園に設けられたビアガーデン(同)

 別邸が再び脚光を浴びるのは戦後のこと。

 「須磨の人々の記憶に残るのは、昭和30年代に別邸の御殿や庭園を活用し、オープンした『藤田ガーデン』ではないか」と西海さん。当時のパンフレットを神戸大学大学院の梅宮弘光教授が持っており、話を聞いた。

 「御婦人方のパラダイス」。パンフレットのうたい文句に目を奪われる。

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藤田ガーデンの跡地に建つマンション=須磨区潮見台町

 須磨の海、淡路島を一望できる施設内には、御婦人だけで使えるバンガローやビアガーデン、御殿式サロンなどがあった。花見や避暑、月見、クリスマスといった四季折々のイベントに加え、ダンスやハワイアンパーティーも開かれていたという。

 -なぜ「御婦人方のパラダイス」だったのか。梅宮教授はこう説明する。

 「鉄道の発展に伴い、繁華街に男性の娯楽施設が数多くできた。それと一線を画したのが藤田ガーデン。パンフレットに『特に仲居さん芸妓さんを一切排しました新しい品格の-』とあるように、御婦人方に優雅で上品な社交場を提供するのが狙いだったのではないか」

 正式な時期は不明だが、昭和40年代には閉鎖され、阪神・淡路大震災後に建物も解体された。

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藤田伝三郎が奈良から運んできたとされる石仏=潮音寺

 藤田邸跡地から歩いて数分のところにある潮音寺(須磨区潮見台町5)には、藤田が須磨の別邸を建てた際、奈良県天理市から移したとされる高さ2メートル超の石仏がある。

 1938年の阪神大水害で、庭園が崩れ土砂とともに流出。その後、70年にこの石仏をまつることを条件に同寺が建立されることになったという。

 これが唯一、藤田男爵邸の栄華を今に伝える遺構となっている。

 【読者からの投稿】須磨区で気になっているのが藤田ガーデン(私たちはこう呼んでいました)です。JR須磨駅近くの高台にあった男爵の別荘あるいは居住地でした。子どものころ、親戚と淡路島を見ながら食事をしたり、散歩をしたり。庭園の芝生を眺めながら立食パーティーをした記憶もあります。学生の時には御膳を運ぶアルバイトもしました。古き時代の社交場の一つでした。マンションに変わった姿を何年も後に目にしたときには、年月の経つ早さを感じました。