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M's KOBE

海と山に囲まれた港都・神戸。明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。

神戸新聞では2018年7月から市内9区をひと月ずつ訪ね歩く「マンスリー特集」をスタート。これまで紙面掲載された記事を集めました。神戸らしさを象徴する「海(Marine)」「山(Mountain)」「音楽(Music)」「神戸牛(Meat)」「出会い(Meet)」、そして「マンスリー(Monthly)」の頭文字「M」をあしらった、その名も「M's KOBE」。

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神戸に「多聞」が多いのはなぜ? 丁名に31、校名は9つも 2018/09/07

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 神戸市垂水区の地図を広げてみた。北西部に集中する「多聞」の地名。本多聞、多聞台、舞多聞東…。多聞が付く丁名数は計31にも上る。ちなみに公立の学校園名は9(保育園1、幼稚園1、小学校5、中学校2)。このエリアを取材するのに、「多聞」という名の由来をひもとく必要がある。神戸随一のカキツバタの名所として知られる「多聞寺」(神戸市垂水区多聞台2)に向かった。(西竹唯太朗)

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 天台宗の開祖であり、伝教大師として知られる最澄。その弟子・慈覚大師が平安時代に開基したとされる古寺だ。同寺の齊川文泰住職(65)によると、多聞とは仏教用語で「仏の教えを多く聞き、心にとどめて知る」という意味だという。

 古代インドから伝わったとされる言葉で、戦いの神を示すサンスクリット語「ビシャモン」が、中国に伝わった際、書き方、読み方が漢訳されたらしい。

「びしゃもん(毘沙門)」

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  「しゃもん」

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  「たもん」

 「聞こえないこともないでしょ」と齊川住職は笑う。

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 もともと播磨国だった多聞地域。戦国時代には、三木城を攻める豊臣秀吉の軍勢が襲来し、一帯が戦場になった。

 「この辺は寺院を中心に23坊(僧の住む家)が集まる僧侶の村でした、しかし、この兵火で20坊が焼かれました」

 江戸時代になり、寺院の再建が進んだが、現在、多聞地域に残る寺院は、多聞寺と西方院(垂水区本多聞1)の2カ所だけという。

 一方、古くから「多聞村」と呼ばれたこの地域。明治期に入ると、市町村制の施行で「兵庫県明石郡垂水村」になった。1941年には神戸市に合併され、須磨区多聞町に。戦後の46年に垂水区が新設されると、同区多聞町となった。その後、宅地開発や区画整理が進み、現在の地名となったが、めまぐるしい変遷を遂げてきたことは確かだ。