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初めての東京 気ままにひとり歩き【2】

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更新日:2018年01月31日

 ある坂道を探して、台東区谷中から文京区根津周辺を巡った前回に続いて、私が住んでいる界隈の坂道を歩く。

森鴎外が住んだ街(文京区千駄木周辺)


明治の文豪・森鷗外の住居跡に開設された斬新なデザインの文京区立森鷗外記念館。奥に、庭の大イチョウが見える=文京区千駄木1丁目23

明治の文豪・森鷗外の住居跡に開設された斬新なデザインの文京区立森鷗外記念館。奥に、庭の大イチョウが見える=文京区千駄木1丁目23

 地下鉄千代田線の千駄木駅にほど近い「団子坂」(文京区千駄木2丁目)。なんとなく聞き覚えがあったが、それもそのはず。森鴎外の小説「青年」や夏目漱石の「三四郎」、江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」などさまざまな文学作品に登場する。
 鴎外、漱石、幸田露伴、佐藤春夫、川端康成…。千駄木周辺には、かつて多くの作家が住んだ。さすが、「文豪の街」を標榜(ひょうぼう)する土地柄である。
 そのシンボルが、団子坂の途中に立つ文京区立「森鷗外記念館」(文京区千駄木1丁目23)。2012年、鴎外の住居跡に生誕150年を記念して開設された。鴎外は30歳から1922(大正11)年に60歳で亡くなるまでの約30年間、ここで家族と暮らした。2階からは品川沖が望めたことから「観潮楼」と命名。「青年」や「雁」など多数の小説や翻訳を手掛け、永井荷風や芥川龍之介、石川啄木ら多くの文人が集った。
 記念館には自筆の原稿や手紙、写真などが展示され、庭には鴎外の時代からの大イチョウが立っている。口ひげをたくわえた怖そうなイメージの鴎外だが、家族にあてた手紙からは温かい人柄がにじむ。「余は石見人森林太郎として死せんと欲す。墓は森林太郎の墓という外は一字も掘るべからず…」という遺言書も必見。軍医で大作家でもありながら地位や名誉に固執しない。そんな潔い生き方がしのばれる。


夏目漱石の「猫の家」


「猫の家」と言われた夏目漱石の住居跡には記念碑が立つ。塀の上の猫は今にも動きそうだ=文京区向丘2丁目2

「猫の家」と言われた夏目漱石の住居跡には記念碑が立つ。塀の上の猫は今にも動きそうだ=文京区向丘2丁目2

 鴎外記念館を出てすぐ脇を南に折れると、藪下通に入る。根津神社(文京区根津1丁目28)へと続くこの道は、鴎外の散歩道で、「青年」の主人公小泉純一が歩いている。永井荷風もお気に入りだったらしい。随筆「日和下駄」で、「私は東京の往来の中で、この道ほど興味ある処(ところ)はないと思っている。片側は樹と竹藪に蔽(おお)われて昼なお暗く、片側はわが歩む道さえ崩れ落ちはせぬかと危ぶまれるばかり…」と記した。
 現在は、崖下には小、中学校が立ち、道の両側は民家が並ぶ。終点には日本大学医学部付属病院の広大な施設があり、昔の面影はない。
 藪下通から一筋西には、夏目漱石の住居跡(文京区向丘2丁目2)もある。今は住居跡を示す石碑が立つだけだが、題字は川端康成というから、ちょっと驚かされる。よく見ると、後ろの塀の上には今にも動きそうな猫の像も。
 碑文によれば、漱石は1903(明治36)年1月に英国から帰国後、ここで一高、東大の教諭を務めながら、初めての小説「吾輩は猫である」や「倫敦塔」などを執筆した。たちまち人気作家となり、この家は「猫の家」と称され、漱石文学発祥の地とされた。借家住まいが一般的だった当時、漱石が住む以前には鴎外も住んだ家で、二人の文豪の因縁を感じさせる。現在、建物は愛知県犬山市の「明治村」に移築保存されている。
  発祥といえば、団子坂には女性が初めて創刊した文芸誌「青踏社」発祥の地でもある。作家平塚らいちょうによる「元始、女性は実に太陽であった」で始まる創刊の辞は、女性解放の幕開けを告げるもので、当時の社会に大きなインパクトを与えた。さらに、その少し西には、江戸川乱歩が兄弟で営んだ古本屋「三人書房」の跡地も。「D坂の殺人事件」の舞台でもあり、名探偵明智小五郎が活躍する推理小説の発祥地ともいえる。


四角いせんべいが伝える歴史


菊人形の歴史を伝える「菊見せんべい総本店」。創業時から四角いせんべいと堅焼きの歯応えは変わらない=文京区千駄木3丁目37

菊人形の歴史を伝える「菊見せんべい総本店」。創業時から四角いせんべいと堅焼きの歯応えは変わらない=文京区千駄木3丁目37

 団子坂は明治時代、菊人形の興行でにぎわった。森鴎外は「青年」の中で、当時の様子をこんなふうに描く。「四つ辻を右へ坂を降りると右も左も菊細工の小屋である」
 今や菊人形はすっかり姿を消し、道路の両側にはビルが立ち並ぶ。その中で、坂を東に下り不忍通を渡った三崎坂沿いの老舗「菊見せんべい総本店」(千駄木3丁目37)は、その歴史を今に伝える。1876(明治8)年、菊人形の見物客の土産物にと創業。珍しい四角いせんべいが創業当時からの名物だ。中国の思想「天円地方」では円が信仰、方が大地、民衆を意味することから、初代が四角形をつくった。5代目の天野善之さん(48)は「時代に応じて材料は変化しても、堅焼き独特のバリバリッという歯応えを守っている」。
 筋向いには、江戸末期創業の千代紙やおもちゃの版元「菊寿堂いせ辰千駄木店」(千駄木2丁目34)も。小さな店内には、今年の干支の狛犬の人形や、江戸時代から受け継ぐ伝統的な模様の千代紙、手ぬぐいが飾られている。眺めていると、時間を忘れて江戸情緒に浸れる。
 三崎坂を上っていくと台東区・谷中霊園へとたどりつく。次回は歴史上の人物が眠る墓地と観光客でにぎわう谷中銀座商店街を巡る。(東京支社・村上早百合)
     ◇
 30年余り記者を続け、経済部長、論説副委員長などを経て、2017年5月から東京支社長。家族は夫と社会人の娘。20数年ぶりの1人暮らしで仕事と子育てに追われたのがうそのように時間に余裕ができ、健康維持を兼ねて街歩きを開始。趣味は読書、クラシック音楽、狂言の鑑賞など。この連載は毎月1、15日ごろにアップします。


【地図】今回歩いたのは…


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