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初めての東京 気ままにひとり歩き【7】

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更新日:2018年04月17日

 私が敬愛する作家の向田邦子さんがエッセーで紹介した中央区日本橋人形町界隈は、一度は行きたかった憧れの街。本を片手に、向田さんの足跡をたどった。

なさけありまの水天宮(中央区日本橋蛎殻町~日本橋人形町)


神戸出身の摂津有馬家が祀った水天宮は、安産祈願の参拝客でにぎわう=東京都中央区日本橋蛎殻町2

神戸出身の摂津有馬家が祀った水天宮は、安産祈願の参拝客でにぎわう=東京都中央区日本橋蛎殻町2

 そのエッセーは、向田邦子さんの没後30年記念で刊行された「女の人差し指」(文春文庫)に収められていた。タイトルは「人形町に江戸の名残を訪ねて」。実際に書かれたのは40年も前だけに、街並みや店舗が残っているか不安を抱きながら訪ねた。
 地下鉄半蔵門線水天宮前駅で降り、まずは水天宮(中央区日本橋蛎殻町2-4)に向かう。「母がみごもると、母の実家では人形町の水天宮へ安産のお礼を貰いにゆき、おかげで私をかしらに姉妹四人がつつがなく生まれたと聞かされて育った」。向田さんがそう書いた、安産の神様である。
 水天宮は、室町時代の争乱で現在の神戸市北区あたりに落ちのびた摂津有馬氏
が、太閤秀吉に見いだされて出世したことに感謝して有馬神社の祭神を祀ったのが始まりという。江戸時代に久留米藩主となった後、江戸屋敷内にも分祀。門外から賽銭(さいせん)を投げる庶民に応えて月に一度開放したことから、「なさけありまの水天宮」と唄われた。
 今年は江戸に鎮座して200年。その記念事業として、社殿は2016年に新しくなった。境内には肩や胸、足元に子どもがいるカッパの母子像、犬の親子像も。安産祈願の若いカップルらの長い列ができ、ベビーカーがずらりと置かれていたのも、安産の神様ならではの光景だろう。
 参拝の後は、ゼイタク煎餅「重盛永信堂」へ。「間口の広い角店だが、みやげものやに徹した気取りのなさである」という店は、今もその雰囲気のまま。名物の人形焼も昔ながらの形と味わいだ。その数軒先には「昔なつかしい匂いがする」と紹介された京菓子店「寿堂」と、白あんの甘さとニッキの風味が混じる黄金芋も健在だ。


食べ歩きも楽しい甘酒横丁


人形町通りから甘酒横丁の入り口を見渡す。右手がかつて甘酒屋があった跡地に立つ菓子の老舗「玉英堂」=東京都中央区日本橋人形町2

人形町通りから甘酒横丁の入り口を見渡す。右手がかつて甘酒屋があった跡地に立つ菓子の老舗「玉英堂」=東京都中央区日本橋人形町2

 エッセーに従って、次に向かったのは甘酒横丁。人形町通りから明治座まで続く通りで、かつて入り口に甘酒を売る店があったのが名前の由来とされる。今は「玉英堂」という老舗の京菓子店が立ち、入り口のガラスケースに飾られた「甘酒横丁由来の地 あまざけや尾張屋」という墨書きと創業者の高山彦九郎の座像が、歴史を伝える。
 人形町は江戸時代、歌舞伎の中村座、市村座が小屋を建て、人形浄瑠璃などの芝居小屋が集まり、人形の製作者や人形師らが多く住んだ。江戸末期の改革で芝居小屋は移転させられたが、そんな芸能の街の歴史を象徴するのが明治座だ。また、人形町通りには江戸の火消しや落語をデザインイしたからくり櫓も立ち、江戸情緒をかもしだす。
 甘酒横丁沿いにある「岩井つづら店」や三味線製造、修理の「ばち英」も江戸文化が色濃く残る。1861年創業の岩井つづら店は、竹を編んだかごに和紙をはり柿渋や漆を塗る伝統の技を引き継ぐ。もちろん、エッセーにも登場している。
 この通りには、食べ物の老舗も数多い。豆腐の「双葉」、そばの「東嶋屋」、寿司の「関山」などが軒を連ね、食べ歩きも楽しめる。本を読んで行ってみたかったのが、昭和初期創業の洋食店「芳味亭」。裏通りに立つ古い一軒家で、行列のできる人気の店だ。座敷に座って名物の洋食弁当をいただく。ミニハンバーグやエビフライ、コロッケ、ポテトサラダなどが詰まり、目にも舌にもご馳走だった。


新旧が融合した街


昔風の木造家屋が残る路地で、街の魅力について話す人形町商店街協同組合の柴川賢理事長=東京都中央区日本橋人形町1

昔風の木造家屋が残る路地で、街の魅力について話す人形町商店街協同組合の柴川賢理事長=東京都中央区日本橋人形町1

 人形町通りをはさんで甘酒横丁の反対側には、1760年創業の鳥料理「玉ひで」がある。昼時には評判の親子丼を目当てに長い列が並ぶ。その先には向田邦子さんがおすすめの老舗喫茶店「快生軒」、さらに行くと粕漬けの「魚久」も。少し離れているが、ぶらぶら歩きの最後に立ち寄った刃物店「うぶけや」(日本橋人形町3-9)も、今も店を構える。「産毛でもそれる」というのが屋号の由来で、ショーケースの磨き上げた包丁やはさみに230年余という伝統の技の矜持を感じる。
 だが、時代の流れには逆らえないのか、エッセーに登場するいくつかの老舗や美術館は廃業したり閉鎖されたりしていた。新しいマンションやビルが立ち、街並みも変化している。それでも、「人形町の素顔は裏通りにある。どの路地も掃除が行き届き、出窓や玄関横にならべられた植木は手入れのあとがうかがえる…」と、向田さんが評した路地は、少なからず残っている。
 そんな路地の一角にある人形町商店街協同組合で、理事長の柴川賢さん(63)に会った。この辺りは、明治時代には花街としてにぎわい、「芳町芸者」の名を馳せた。女優第1号となった川上貞奴はその代表格だ。現在、組合には約200店が加盟するが、実際の店舗はその3~4倍に上るという。人形町で生まれ育ったという柴川さんは「新しい建物や店も増えたが、路地には粋な下町らしい空気が残っている。古い伝統と新しいものが融合され、街の魅力になっている」と語る。
 すぐ近くのビルの壁に、作家谷崎潤一郎生誕の地の看板を見つけた。祖父が経営していた活版印刷所で生まれて尋常高等小学校入学まで過ごし、その後も近くを転々としたようだ。「細雪」のような耽美主義的な小説を生んだ感性は、この街の風土が育てたのだろうか。
 次回は、さらに江戸の技と文化の名残を求めて、人形町通りを北へ、小伝馬町から大伝馬町に向かう。(東京支社・村上早百合)


【地図】今回歩いたのは…


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