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初めての東京 気ままにひとり歩き【11】

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更新日:2018年06月19日

 明治の文明開化以来、時代の先端を走り続ける銀座界隈。2020年の東京オリンピック・パラリンパックを控え、さらなる変貌を遂げつつある。華やかさとわい雑さ、昼と夜。今と昔。さまざまな表情を見せる銀座を歩いた。

ブランドと外国人観光客の街(東京都中央区銀座周辺)


高級ブランドなどが入る新しい複合商業施設「GINZA SIX」が立つ中央通り=東京都中央区銀座6

高級ブランドなどが入る新しい複合商業施設「GINZA SIX」が立つ中央通り=東京都中央区銀座6

 銀座はすっかり外国人観光客の街と化していた。
 地下鉄日比谷線の銀座駅から地上に出て、銀座4丁目交差点に立つ。街のシンボルの 時計塔がある和光。反対側には銀座三越。風景は変わらないのに、周囲では中国語が飛び交っている。目の前を走る中央通りは大型観光バスが何台も連なり、三越の店内に入ると外国人観光客でごった返している。
 中央通りを南西に進む。交差点のすぐ側に、明治時代に店を構えた京都発祥の老舗文具店、東京鳩居堂がある。この店の前の路線価は32年連続日本1。2017年は1平方メートル当たり4032万円で、バブル期を超えたという。
 その先にある12階建のガラス張りのビルは、丸ごとユニクロ。各階にずらりとマネキンが並ぶ景色は壮観だ。通りをはさんだ反対側には、昨年開業したばかりの複合商業施設「GINZA SIX」。白を基調としたシャープな外観は、夜になるとライトアップされて燦然と輝く。中央通りはとにかく華やか。シャネル、フェラガモ、ルイ・ヴィトンなど高級ブランドの旗艦店がひしめき、それぞれが外観にも意匠を凝らす。進出当時は伝統の雰囲気を壊すといった批判もあったようだが、今や洗練された街のイメージに一役買っている。
 中央通りと交差する晴海通りを北西へ、数寄屋橋交差点に向かう。ランドマークだったソニービルが取り壊されてなくなり、跡地は塀で囲われて工事中だ。2020年までは公共スペースとして活用し、その後新しいビルを建設する計画という。向かい側には2016年開業の大型商業施設東急プラザ銀座。伝統工芸の江戸切子をモチーフにしたガラス張りの外観がまぶしい。 
 東京オリンピック・パラリンピックに向け、銀座は建設工事が急ピッチだ。中央通りのシャネル、一筋西を平行して走る並木通りではルイ・ヴィトンの改装工事が進む。並木通りでは外資系高級ホテルが開業したのをはじめ、銀座周辺は20年にかけて続々と新しいホテルがオープンする予定だ。


原型は明治時代の煉瓦街


江戸情緒を残す金春通りの夜。江戸末期から続く銭湯も=東京都中央区銀座7

江戸情緒を残す金春通りの夜。江戸末期から続く銭湯も=東京都中央区銀座7

 銀座の地名は江戸時代、幕府が銀貨の鋳造所をつくったことに由来する。中央通り沿いの宝飾店ティファニー銀座本店前の歩道には「銀座発祥の地」(銀座2丁目7)の碑があり、その歴史を伝える。1872(明治5)年の大火で焼失した後、明治政府は火災に強い煉瓦街をつくる。政府から託されたイギリス人建築家は碁盤目状の街並みを構想。パリのシャンゼリゼ通りをモデルにしたという広々とした歩道と車道、街路樹やガス灯が整備された。道路の両側には煉瓦造りの2階建ての洋館が並び、現在の原型が出来上がった。銀座1丁目近くの京橋には「煉瓦銀座の碑」も立つ。
 洋館は民間に払い下げられ、新聞社や出版社が多く入る。今も銀座周辺には地方紙などの新聞社や通信社の事務所が集まる。ちょうどこのころ、新橋から横浜までの日本初の鉄道も開通。銀座は西欧の商品や文化が集まり、新しいモノや情報の発信地となった。その後、関東大震災や太平洋戦争で甚大な被害を受けながら、復興を果たす。
 明治時代に初めてあんぱんをつくった木村屋総本店。日本初のソーダ水の店だった資生堂パーラー。ビアホールとして100年以上の歴史を持つ銀座ライオン。関東大震災後に進出した百貨店の松坂屋や松屋。明治、大正時代から続く老舗が今も中央通りで存在感を示す。
 だが、裏通りにこそ銀座の伝統が息づく。その代表格が中央通りの一筋西の「金春(こんぱる)通り」。江戸時代の能楽の金春流の屋敷があったことから名付けられた。江戸末期には「金春芸者」が住み、昭和40年代までは花街としてにぎわったという。その芸者衆に流行したのが「金春色」といわれる緑がかった青色で、現在の街路灯の表示版に再現されている。
 通りは夜になると、バーや飲食店の鮮やかなネオンが灯り、往時の雰囲気を醸し出す。その中に「金春湯」の看板も。なんと、江戸末期創業の銭湯で、150年以上も営業を続けている。7丁目にあるビルの隙間の狭い路地には、赤い鳥居と2匹のキツネ像が。江戸初期からここにある豊岩稲荷神社で、歌舞伎役者が信仰したことで知られ、パワースポットとして人気だ。毎年夏には金春流宗家が「路上能」を披露するなど、江戸情緒が色濃く残る。


異色のママに会いにゆく


開店前にあでやかな着物姿で銀座について語る白坂亜紀さん=東京都中央区銀座7

開店前にあでやかな着物姿で銀座について語る白坂亜紀さん=東京都中央区銀座7

 銀座といえば、夜の社交場を抜きには語れない。そこで、20年以上もオーナーママを務め、銀座を知り尽くす白坂亜紀さんを訪ねた。7丁目のビルの地階にある「クラブ稲葉」。早稲田大在学中に女子大生ママとなり、阪神・淡路大震災をきっかけに一度きりの人生だから挑戦しようと、1996年に2店舗を開業した異色の経歴を持つ。現在は4店舗経営し、昨年は著書「銀座の流儀」を出版。最近、NHKの特集番組でも紹介されるなど注目を集める。
 白坂さんは、銀座について「生き馬の目を抜く激しい競争社会。変化に対応できるものしか生き残れない」と話す。街の見どころでは「夜の街が好きなので、雑多な金春通りや旧ソニービルの裏通りがいい」。さらに、自らも関わる「銀座ミツバチプロジェクト」という環境保全活動を紹介してくれた。
 銀座ミツバチプロジェクト?白坂さんに教えられた紙パルプ会館に向かう。このビルの屋上で、2006年から養蜂が行われている。昨年度のハチミツの収穫量は1600キログラム。初年度の10倍強になった。シェフやパティシエら地域の職人によって、このハチミツを使った商品も生まれ、販売されている。1丁目に店舗がある兵庫の洋菓子メーカーも参加している。
 「ミツバチが飛ぶ範囲に皇居や日比谷公園などがあり、街路樹も多い。あらためて銀座が環境に恵まれていることが分かった。緑化活動や養蜂体験を通じ、地域のつながりも深まっている」と、仕掛け人の紙パルプ会館専務で特定非営利活動法人銀座ミツバチプロジェクト理事長の田中淳夫さんは意義を語る。
 銀座の取り組みをきっかけに、ビル屋上での養蜂は全国100カ所に広がっている。島根県の萩・岩見空港では国内空港で初の養蜂事業も。銀座で全国のハチミツを集めたフェスタや地方再生に関するフォーラムなども開催。東日本大震災後、銀座を仲介役に被災地福島のコメを使い、山口で日本酒をつくるプロジェクトも実現し、今後は全国の酒蔵に広げる計画だ。田中さんは「銀座をハブに全国のさまざまな地域とのネットワークができつつある。地方の生産者と消費者を直接つなぐなど、今後も地方との連携策を探っていきたい」と話す。銀座を歩いて、思いがけず都市と地方の関係を考えさせられた。
 次回は、劇場などが集まる演劇街、日比谷を巡る。(東京支社・村上早百合)


【地図】今回歩いたのは…


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