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初めての東京 気ままにひとり歩き【12】

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更新日:2018年07月02日

 明治の文明開化を象徴する鹿鳴館があった日比谷界隈。今は劇場や映画館が集積し、日本初の西洋式公園の日比谷公園もある。新しいランドマークも加わり、にぎわう芸術の街を巡った。

鹿鳴館をイメージした新ランドマーク(東京都千代田区有楽町~内幸町)


今年3月にオープンした東京ミッドタウン日比谷。曲線を描く外観が特徴という=東京都千代田区有楽町1

今年3月にオープンした東京ミッドタウン日比谷。曲線を描く外観が特徴という=東京都千代田区有楽町1

 日比谷の新しいランドマーク「東京ミッドタウン日比谷」(東京都千代田区有楽町1-1)は、明治時代にこの辺りにあった鹿鳴館から着想したデザインだそうだ。地上35階、地下4階建ての複合商業ビル。ガラス張りの外観は、頂上部や壁面が柔らかなカーブを描き、外庭の広場は曲線状の階段が積み重なる。
地下鉄千代田線日比谷駅から直結する建物に入る。地階にはフードコートがあり、行列のできる人気店も多い。1階の玄関口は吹き抜けのアトリウム。サッカーW杯の期間中は、特設のパブリックビューイング場が設けられ、記念撮影コーナーもある。こちらも人垣ができる人気ぶりだ。
ビルには映画館を含め60店舗あり、3階には市場をイメージした小さなアーケード街に理髪店、眼鏡店、居酒屋などが並び、懐かしい昭和の雰囲気を醸し出している。運営しているのは書店の有隣堂。そういえば、壁際などには書籍がインテリア風に飾られている。6階の外庭からは豊かな緑に囲まれた日比谷公園が眼下に見渡せる。1階玄関から外に出ると、右手にはゴジラ像が立っていた。
  このビルのデザインのもとになった鹿鳴館は1883(明治16)年に完成し、舞踏会などが夜ごと繰り広げられた。西洋文化を発信する舞台として期待されたが、外相井上薫の失脚とともに短命に終わる。華麗な煉瓦造りの洋館は影も形もなく、帝国ホテル(千代田区内幸町1-1)と南側のビルとの境の塀に「鹿鳴館跡」というプレートが残るのみだ。


エンターテインメントの発信地


エンターテインメントの街らしく、人気俳優や歌手の手形レリーフもある。手前はドラえもん=東京都千代田区有楽町1

エンターテインメントの街らしく、人気俳優や歌手の手形レリーフもある。手前はドラえもん=東京都千代田区有楽町1

 この界隈には名だたる劇場が軒を連ねる。その始まりは1911(明治44)年に財界人らがつくった「帝国劇場」(千代田区丸の内3-1)。日本で初めての洋式劇場だ。建物は1966年に建て替えられたが、「ミュージカルの聖地」と称され、今も憧れの舞台となっている。
エンターテインメントの街として決定づけたのは、昭和に入り、東京宝塚劇場(東宝の前身)の初代社長小林一三が打ち出した「有楽町アミューズメント・センター構想」だった。小林は阪急電鉄グループの創業者で宝塚歌劇団の創設者。構想以降、1930年代には「東京宝塚劇場」や「日比谷映画劇場」、「有楽座」が誕生。太平洋戦争後には、演劇場の「芸術座」、映画館の「みゆき座」や「日比谷スカラ座」も開設された。
 現在は「東京宝塚劇場」や「シアタークリエ」などの劇場や映画館に集約され、一帯は「東宝村」の感がある。宝塚歌劇の公演後などには、劇場付近は出待ちの女性ファンがあふれ、華やいだ雰囲気に包まれる。複合商業施設「日比谷シャンテ」の地下入り口には、俳優や歌手の手形レリーフを集めた「ザ スター ギャラリー」も。いまは亡き俳優の菅原文太、女優の吉永小百合さん、米国の人気俳優トム・クルーズ、変わり種ではドラえもんなど77個の手形がずらりと並ぶ。自分の手を重ねてみたり、自撮りをしたりする人の笑顔が絶えない。
すぐそばの日比谷通り沿いには、重厚な洋風建築の「日生劇場」も立つ。日本の代表的な建築家村野藤吾の設計で、1963年に完成。劇場内は天井も床も全て曲面になっていて、天井には2万枚のアコヤ貝が貼られているという。オペラや演劇、ミュージカルの名作が数多く上演されるが、残念ながらまだ観劇の機会を持てていない。


大イチョウと老舗レストラン


老舗レストラン松本楼の脇に立つ首かけイチョウ=東京都千代田区日比谷公園内

老舗レストラン松本楼の脇に立つ首かけイチョウ=東京都千代田区日比谷公園内

 日生劇場の前の大通りを渡り、日比谷門から日比谷公園に入る。青々とした木々が茂り、その向こうに霞ヶ関のビルがそびえる。右手に進んでいくと、日比谷見附跡の石垣がある。江戸時代、この公園一帯は大名屋敷で、日比谷見附は江戸城の警備のための城門の一つだった。石垣の周囲には濠があり、一部が「心字池」として残っている。
すぐ近くに「伊達政宗終焉の地」の説明板があり、仙台藩上屋敷跡と紹介している。その先には、西洋風の白い窓枠が印象的な木造の瀟洒な建物。旧日比谷公園事務所で、1910(明治43)年に建てられ、現在は結婚式場として利用されている。
  日比谷公園が日本初の西洋式公園として開園したのは1903(明治36)年。林学が専門でドイツ留学の経験もあった東京農科大学(現東大農学部)教授の本多静六が造園にあたった。その後、本多は全国の公園をつくったり国立公園の創設にもかかわったりして、「日本の公園の父」といわれる。「四分の一天引き預金」という独特の貯蓄法で財をなし、それを公共事業に寄付したことでも知られる。
 公園の中央付近にある老舗レストラン「松本楼」の隣にそびえる「首かけイチョウ」は、本多ゆかりの大イチョウだ。明治32年ごろ、日比谷見附辺りの道路拡幅工事に伴い伐採の危機にあったのを、本多が「首にかけても移植させる」と救った。ちなみに松本楼は1903(明治36)年の創業で、当時はカレーを食べコーヒーを飲むのがハイカラとされた。夏目漱石をはじめ、若き文化人らが集ったという。今もカレーが名物で、昼どきにはランチの行列ができる。
 公園の面積は約16万平方メートルという広大さ。日本庭園あり、芝生広場あり、噴水あり、遊具ありで、まさに和洋折衷の公園。日本初の音楽ホールの日比谷公会堂、野外音楽堂や図書館なども備える。第一花壇は、芝生の周囲に洋風花壇が配置され、開園当時の姿を今に残す。大噴水がある第二花壇はかつては運動場で、スポーツや国家的行事が催された。公園パンフレットには、1909(明治42)年の伊藤博文の国葬の様子が紹介されている。
 公園内には多種多様な樹木や花が植えられ、春は桜、秋は紅葉といった季節の変化を楽しめる。歩いていると、珍しいモノに出会った。普通の石に見えたが、「南極の石」との解説板。1966年に南極観測船「ふじ」が持ち帰ったと書かれていた。その近くにはドーナツ型の大きな石も。こちらは外国から寄贈された石貨(石の貨幣)という。
 散歩やジョギングをする人、お弁当を食べる人、読書や昼寝をする人も。昼休みに鉄棒で懸垂や回転をしているワイシャツ姿の男性たちも。日比谷公園は多くの人が集まる、まさに都会のオアシスだ。
 次回は、下町風情が残る台東区入谷に、夏の風物詩を見に行く。(東京支社・村上早百合)


【地図】今回歩いたのは…


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