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初めての東京 気ままにひとり歩き【14】

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更新日:2018年08月03日

 首都東京の玄関口であるJR東京駅は、東京ドーム3・6個分の広さという巨大ターミナルだ。明治から昭和にかけての激動の歴史の舞台でもあった。夏休みに入り、国内外の観光客らでごった返す東京駅と周辺のオフィス街を巡った。

巨大空間、東京駅を歩く(東京都千代田区丸の内1丁目)


ライトアップされた東京駅の丸の内駅舎。夜も観光客らが絶えない=東京都千代田区丸の内1

ライトアップされた東京駅の丸の内駅舎。夜も観光客らが絶えない=東京都千代田区丸の内1

 皇居を臨む瀟洒な駅舎が再建された丸の内側が表玄関とすれば、幹線道路の外堀通りに面し雑然とした印象の八重洲側は裏口といえるかもしれない。
 現在の丸の内駅舎は2012年、太平洋戦争の空襲で焼失した3階部分を復原し、大正初期の創建時の姿によみがえった。外観は横に長く、左右の丸いドーム屋根が突き出している。設計は当時の西洋建築の第一人者で、日本銀行本店なども設計した建築家の辰野金吾。赤れんがと縦横に入る目地や窓枠、柱の白色とのコントラストが美しい。
 丸の内南口で、八角形のドーム天井を下から見上げる。八つの頂点部分には翼を広げた鷲の彫刻が飾られ、その外円の八つのコーナーには、蛇など方位に合わせた干支の彫刻も。創建時のデザインに復原したという。
 駅舎の1、2階部分には、東京ステーションホテルが入る。1915(大正4)年の創業で、川端康成ら多くの文豪が滞在した。作家の松本清張が客室から見渡すプラットホームを見て小説「点と線」のトリックを着想したというエピソードが有名だ。
 このホテルは、神戸発祥で大正期に日本最大の商社となり昭和恐慌で破綻した鈴木商店の番頭金子直吉も定宿にしていた。破綻のそのとき、金子がホテルの一室で幹部らと対策を練っていたというエピソードを、弊紙の連載「遙かな海路 巨大商社鈴木商店が残したもの」で紹介していたことを思いだす。
 駅舎前の広場は、約1200平方メートルの広々とした芝生と白っぽい石畳みで、赤れんがの駅舎が映える。昼間は打水システムによる水が張られ、水浴びをしてはしゃぐ子どもたちも。ライトアップされた姿も幻想的で、夜遅くまで観光客が絶えない。


激動の歴史を刻む


丸の内南口に掲示されている「原首相遭難現場」の説明板=東京都千代田区丸の内1

丸の内南口に掲示されている「原首相遭難現場」の説明板=東京都千代田区丸の内1

 東京駅は政治の中心地にある駅として、激動の歴史の舞台にもなった。丸の内駅舎の南口切符売り場の側にその跡が残る。壁に「原首相遭難現場」の説明板。床には、当時の現場を示す円の中に六角形の印がある。平民宰相として知られる原敬首相は1921(大正10)年11月4日、京都に向かおうとしていたときに、1人の青年に刺されて絶命する。説明板には「犯人は、原首相の卒いる政友会内閣の強引な施策に不満を抱いて凶行におよんだと供述し、背後関係は不明であった」と記されている。
 駅構内にはもう1カ所、暗殺事件の現場がある。中央通路から東北、北陸方面新幹線乗り場への行く辺りの柱に「浜口首相遭難現場」のプレートがあり、床に丸い印が刻まれている。浜口首相は1931年11月14日、岡山で行われる陸軍特別大演習に出席するため特急に乗るべくホームを歩いていたところを銃撃され、翌年死亡した。説明によると、浜口内閣が、ロンドン条約批准問題などで軍部の圧力に抵抗したことに不満を抱いた末の犯行だったという。
 いずれの事件も遠い過去の出来事になってしまい、駅構内を忙しく行き交う人の中でプレートの存在に気づく人は少ない。
 駅構内を通り抜け、八重洲口へ。頭上は約230メートルの巨大な屋根「グランルーフ」が広がり、大丸東京店が入る高層ビルが立つ。その先の外堀通りと八重洲通りの地下には、T字型に「八重洲地下街」がある。高度成長期の1965年に開業。縦横に張り巡らされた街路に、約180店が軒を連ね、迷路のようだ。居酒屋、レストラン、有名ブランド店、ドラッグストア、美容院、両替商と何でもある。その一角に、「八重洲」の名前の由来とされるオランダ人の漂流者で江戸幕府に仕えたヤン・ヨーステンの記念像がひっそりと立っていた。


三菱がつくったオフィス街


明治の建物を再現した「三菱一号館美術館」=東京都千代田区丸の内2

明治の建物を再現した「三菱一号館美術館」=東京都千代田区丸の内2

 八重洲口から構内の連絡通路を抜け、再び丸の内側へ向かう。丸の内駅舎から皇居まで行幸通りが真っすぐに延びる。普段は歩道だが、新任の外国大使が皇居に向かうときなどには馬車が通る光景が見られる。両側に門のようにそびえるのは丸ビルと新丸ビル。この一帯は、三菱グループの企業を中心に日本有数のオフィス街を形成している。
 行幸通りから南に折れ、丸の内仲通りを歩く。ビルの谷間に緑の並木が続き、高級有名ブランド店が並ぶ。道路にはベンチやパラソルが置かれ、ヨーロッパの街にいるかのように錯覚する。
 それもそのはずで、この辺りは明治時代半ば、三菱グループ2代目社長岩崎弥之助がロンドンのオフィス街をモデルに開発。一帯は江戸時代の大名屋敷の跡地で明治政府の官有地だったのを、三菱が買い取ってれんが造りの建物を次々に建てた。当時は「一丁倫敦(ろんどん)」と呼ばれていたという。
 丸の内仲通りと馬場先通りの交差点に、往時をしのばせる「三菱一号館美術館」が立つ。1894(明治27)年に建てられた赤れんが造りの洋風建築は、鹿鳴館などを手がけた英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計。高度成長期にビルに建て替えられたが、2009年に復元された。現在は美術館や歴史資料室、カフェとして利用されている。
 その西側には、明治安田生命保険が所有する「明治生命館」がある。1934年完成の重厚な石造りの洋風建築で、昭和の建造物では初めて国の重要文化財に指定された。1945年から11年間にわたり、アメリカ極東空軍司令部に接収されたことで知られ、建物の一部を一般公開している。
 東京駅とその周囲のオフィス街の規模は、過剰とも思えるほどだ。しかも、2020年の東京五輪・パラリンピックをにらみ、駅の北東ではさらなる再開発が始まっている。「東京駅前常盤橋プロジェクト」で、約8000人が働く40階建ての超高層オフィスビルを皮切りに、2027年には高さ390メートルの超高層ビルが完成予定。首都東京の巨大化はとどまるところを知らないようだ。
 次回は、国技館があり相撲の街で知られる墨田区両国周辺で、江戸の歴史や文化に触れる。掲載は9月1日ごろの予定。(東京支社・村上早百合)


【地図】今回歩いたのは…


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