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初めての東京 気ままにひとり歩き【16】

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更新日:2018年09月21日

 歴史のある深川不動堂と富岡八幡宮の2大社寺の門前町として栄えた東京都江東区深川界隈。作家の池波正太郎や藤沢周平らが描いた時代小説の舞台としても知られる。江戸の下町情緒を探して歩いた。

時代小説が描いた深川界隈(江東区門前仲町~白河周辺)


深川不動堂の参道の商店街には「人情深川ご利益通り」の旗が翻る=東京都江東区富岡1

深川不動堂の参道の商店街には「人情深川ご利益通り」の旗が翻る=東京都江東区富岡1

 「人情深川ご利益通り」。地下鉄東西線の門前仲町駅から地上に出て、赤い鳥居をくぐると、白地に赤でこう書いた旗が翻っていた。150メートルほどの参道の両側に老舗和菓子店や漬物店、酒店など約40店が並び、昼間も参拝客らでにぎわう。
 商店街の先に見えるのが、深川不動堂。江戸時代の不動尊信仰を背景に、千葉県の大本山成田山新勝寺の東京別院として明治中期に建立された。本堂に入ると、1日5回ある護摩だき法要が始まったところだった。法螺(ほら)貝の音ともに僧侶たちが入場。太鼓が打ち鳴らされ読経に続いて、火がたかれる。病気快癒や商売繁盛など、参拝者らの祈願に加えて、西日本豪雨災害や東日本大震災の復興を祈る僧侶の声が響く。そのうちに参拝者らが護摩だきの周りに並び始めた。順番に財布や鞄を煙にかざしている。初めて見る不思議な光景だ。
 深川不動堂を出て参道の途中を東に曲がり、富岡天満宮へ。1627年の創建で、江戸勧進相撲の発祥の地としても有名だ。境内には歴代横綱を顕彰する碑などもあり、新横綱誕生の際には土俵入りが奉納される。また、江戸三大祭りのひとつとされる「深川八幡祭り」も名高い。境内にあるガラス張りの神輿庫には、光輝く豪華な神輿が鎮座していた。説明書きによれば、深川に屋敷があった紀伊国屋文左衛門が3基の神輿を奉納したものの関東大震災で焼失した。1991年にようやく新しい黄金神輿が奉納されたが、ダイヤモンドやルビーも使われているという豪華さだ。
 鳥居近くには、日本地図の生みの親で江戸後期の測量家伊能忠敬の銅像が立つ。50歳を過ぎてから天文学や測量を学び、晩年は深川に住み、測量旅行出発のときには必ず参拝したことから、2001年に銅像が立てられた。伊能の銅像は片足を一歩踏みだし、今にも歩きだしそう。
 門前仲町周辺は、江戸の昔、辰巳芸者で知られる花街だった。現在は飲み屋街として引き継がれ、入り組んだ細い路地には居酒屋やバーが軒を連ねる。夜になるとネオンが灯り、昭和の雰囲気が漂う。夜も魅力的な街である。


江戸の暮らしを体感できる資料館


深川江戸資料館に再現された江戸の街並み。八百屋や米店などの商店は実物大で屋根が低い=東京都江東区白河1

深川江戸資料館に再現された江戸の街並み。八百屋や米店などの商店は実物大で屋根が低い=東京都江東区白河1

 門前仲町から清澄通りを北へ進む。仙台堀川を渡ると、左手に明治期に三菱の創業者、岩崎弥太郎がつくった日本庭園「清澄庭園」が見えてくる。その先を東に入り、江東区立深川江戸資料館(江東区白河1-3)へ。資料館は1986年に開館。江戸末期の深川佐賀町の街並みを実物大で再現し、実際に建物に入ったり展示物を触ったりして江戸の庶民の暮らしを体感できる。
 まず入り口を入ると、深川ゆかりの人物を紹介する旗が出迎えてくれる。伊能忠敬、市川團十郎、佐久間象山…。人気歌舞伎役者だった市川團十郎は、神戸新聞のグループ会社、デイリースポーツ木場工場が立つあたりに住んでいたと知り、何やら親近感がわく。
 展示室は地下1階から地上2階までの吹き抜けで、入り口付近から街並みを一望でき、瓦屋根や蔵が連なり、火の見櫓(やぐら)も見える。屋根の上の猫が突然、鳴き声を上げた。館内が薄暗いのは夜明け前という想定。1日の変化を照明の明るさや効果音を使って体感してもらう狙いだ。
 階段を下りて、いよいよ街中に入っていく。まずは表店(おもてだな)と呼ばれる通りで、八百屋にはカボチャやシソの葉など本物そっくりの野菜や卵などが並ぶ。向かいの商店には実在の肥料問屋「多田屋」の看板が。掘割には猪牙舟(ちょきぶね)という先端がとがった木造船が浮かび、岸には舟宿が2軒立つ。中には、灘の酒という酒樽が置かれている。火の見櫓の周囲は小さな広場になっていて、そばや天ぷらの屋台や茶店がある。火事が多かったため、火よけ地として設けられたという。
 その先は裏店と呼ばれる長屋。一軒目は木場の木挽き職人の夫婦が住む長屋。壁に掛けられた大鋸(のこ)が目を引く。台所の鍋や箱膳、長火鉢の横の蚊取り線香などさまざまな道具類が本物そっくりで、江戸の暮らしをしのばせる。もちろん触ることもできる。隣家は、三味線を教える女性が住むという設定で、三味線が壁にかかり、桐ダンスなどぜいたくな家具も。同じ長屋でも暮らしぶりの違いが分かる。
 「庶民はモノを持たず、商売道具もなるべく借りたようです。そのため、損料屋といわれるレンタル業が盛んだった。火事になってもすぐ逃げられるように、大事なものは風呂敷包みや長持ちに入れて用意していました」。ボランティア歴6年目の笹川邦彦さん(74)が、こう教えてくれた。あらゆるものをリサイクルし、避難場所として広場をつくり、火事に備えて日ごろから準備していた。災害が多発する今、江戸の暮らしに学ぶことは多いと感じる。
 館内では、企画展「時代小説と深川」も開催中だった。作家の山本周五郎、池波正太郎、藤沢周平、宮部みゆきらの書籍や挿し絵などを展示。池波正太郎の代表作「鬼平犯科帳」の主人公長谷川平蔵を自ら描いた絵や直筆の原稿もある。各作家が作品に描いた深川の場所を地図におとしたマップは、時代小説のファンには垂涎(すいぜん)ものだろう。そのマップを見て、藤沢周平の「橋ものがたり」や池波正太郎の「鬼平犯科帳」などにも登場する万年橋に行ってみることに。


芭蕉が住んだ庵


隅田川と小名木川を見下ろす芭蕉庵跡地に立つ芭蕉像=東京都江東区常盤1

隅田川と小名木川を見下ろす芭蕉庵跡地に立つ芭蕉像=東京都江東区常盤1

 深川江戸資料館を出て、西に向かう。清澄庭園と清澄公園を超えた地点で北に曲がる。少し行くと、小名木川が隅田川と合流する地点。そこにかかっているのが万年橋だ。当然ながら、「橋ものがたり」や「鬼平犯科帳」からイメージする木造橋とは遠く、立派な鉄橋が架かっている。手前に小さな広場があり、芭蕉の句碑が。このあたりは芭蕉のゆかりの地でもある。
 橋を渡ったところで階段を下り、隅田川沿いを歩く。ドイツケルン市に架かっていた吊り橋をモデルにしたという清州橋が見える。堤防に上がっていくと、芭蕉像が立っていた。かつての芭蕉庵の跡地とされる「芭蕉庵展望庭園」。幕末から明治のころに台風で消失したが、1921(大正10)年に芭蕉が愛でた石の蛙が出土し、東京府が「芭蕉翁古池の跡」に指定した。「古池や蛙(かわず)飛び込む水の音」。この有名な俳句も、ここで詠まれた。
 この辺りには、芭蕉ゆかりの地が点在する。石の蛙が出土した場所は「芭蕉翁古池の跡」として指定され、現在は芭蕉稲荷神社(江東区常盤1-3)が立つ。また、「おくの細道」の旅に出発した場所は「採荼庵跡」(江東区深川1-9)として芭蕉像も。1981年には、ゆかりの品や関係資料を集めた芭蕉記念館(江東区常盤1-6)も開館した。この庭には、俳句に詠まれた草木や芭蕉庵を模した祠(ほこら)、句碑などがある。
 深川には、江戸の食文化も残っている。あさりを使った深川めしは代表格だろう。深川江戸資料館近くの「深川宿」では、炊き込みご飯とあさりのみそ汁をかけたような汁ご飯の2種類がセットで味わえる。
 次回は江戸の下町文化を残し、外国人観光客らの人気を集める台東区浅草周辺を巡る。(東京支社・村上早百合)


【地図】今回歩いたのは…


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