Loading...

TOP > おでかけトピック > トピック情報
EVENT

神戸・新開地劇場70周年 夢の世界、女性客熱く

ツイート facebook シェア Google Plus

更新日:2016年12月17日

  • 紙吹雪が舞い散る豪華な演出で客席を沸かした11月の「劇団美山」のショー=神戸市兵庫区新開地5、新開地劇場(撮影・三浦拓也)

  • 旧劇場前で舞台の打ち合わせをするスタッフら=1995年5月、神戸市兵庫区

  • 毎日演目が変わる芝居。女形の姿も美しい=神戸市兵庫区新開地5、新開地劇場(撮影・三浦拓也)

  • スマートフォンで役者を撮影する女性たち=神戸市兵庫区新開地5、新開地劇場(撮影・三浦拓也)

  • 神戸新聞NEXT

 舞踊ショーや時代劇を上演する大衆演劇場として知られる神戸・新開地の「新開地劇場」が今月、開場70周年を迎えた。終戦の翌年に誕生し、街が盛衰する中、娯楽文化の灯を守り続けてきた。阪神・淡路大震災の年にオープンした現在の劇場は、関西屈指の設備を誇り、きょうも花形役者たちが女性客らを沸かせている。(松本寿美子)
 女性が歩きにくい街のイメージが根強い新開地だが、劇場内は、おばちゃんたちのパラダイスだ。開演1時間前に開場されると、前列や花道近くの席を確保。舞台を待つ高揚感に浸りながらお弁当を食べる。
 「初めて来たん?」。隣の女性客に声を掛け、その客がうなずくや、「ちょっと、初めてなんやて」と周りの“常連さん”に伝わり、いろいろ教えてくれる。「ここの舞台に上がれれば一流の証し」「たいていはショー、芝居、ショーの3部仕立てで3時間半」「月ごとに劇団が変わり、お芝居の演目は毎日変わるねん」…。
 劇場は1階が桟敷を含めおよそ230席、2階はすべて桟敷で100人は座れる。ゴンドラや宙づりなど豪華な設備も備える。
 ステージできらびやかな衣装をまとった“イケメン役者”らが次々と演歌やポップスに合わせて踊るショーは、華やかで夢見心地だ。女形に目を奪われ、役者が客席に向かいポーズを決めれば、歌舞伎の大向こうのような掛け声が飛ぶ。ショーは写真撮影が許される寛容さで、客席のあちこちでスマートフォンがかざされる。
 芝居は涙あり、笑いあり。「瞼(まぶた)の母」や「雪の渡り鳥」で知られる劇作家長谷川伸の人情芝居など、歌舞伎でおなじみの演目もあるが、映画館とほぼ同じ値段で楽しめるのだから財布に優しい。
 客席には若い女性客の姿も。1泊2日で神戸を訪れた石川県の会社員の女性(25)と福井県のフリーターの女性(18)は「大衆演劇の魅力は役者との距離の近さ」「現実を忘れさせてくれる癒やし」という。中でも「劇団美山」のファンといい「劇団員一人一人に個性があり、トータルでいい」「着物の着付けや舞踊の形、動きのそろい、裾さばき…。どれも手抜きがなく美しい」とほれ込む。
 出入り口では座長ら劇団員がお見送り。2人も握手や写真撮影に応じてもらい、ご満悦だった。大衆演劇場は“会いに行けるスター”が待っている場所なのだ。
■「きれいな場所で、きれいな役者を」
 「よう耐え忍んで頑張ってきた。一緒に生きてくれる、お客さんたちがいてくれたおかげや」。新開地劇場を運営する大和興行代表取締役会長の森本利雄さん(74)は商売の厳しさを振り返る。
 劇場は1946(昭和21)年12月、現在の劇場の向かい側、映画館がある場所で出発した。当初は映画俳優の巡業や歌謡ショーもあり、山田五十鈴や美空ひばりら昭和を代表する大スターも舞台を飾った。
 街は戦前から「東の浅草」と並び称され、多くの映画館や劇場が並び、ハイカルチャーからローカルチャーまで集まる娯楽の街としてにぎわったが、市街地の中心が三宮へ移り、次第に人通りがまばらになっていった。
 森本さんは創設者の娘婿。66(同41)年から劇場に関わる。当時は同社は市内だけで14の映画館のほか、ストリップ劇場や新劇劇場も経営したが、今は新開地劇場のみに。阪神・淡路大震災のときは現劇場の建設中だった。営業していた前劇場とも被災し、オープンは95年8月予定から12月にずれ込んだ。「建設前に震災やったら、今の劇場は建ててへんかったわ」と話す。
 新劇場建設は「きれいな場所で、きれいな役者を見てほしい」との一心だったという。「くさい、汚い、うっとうしいという大衆演劇のイメージを払拭(ふっしょく)しようとしたら、採算を度外視した設備投資になった」と語る。その後も貯蓄を切り崩しながら手を入れる。
 今後の青写真をどう描くのか。「楽屋にも客席にも子どもの声がしてたらうれしい。役者は後進を育て、焦らず油断せず、精進してもらいたい」と森本さん。「そのためなら私らも最大限協力する。そうして共に長く、ここで生きていきたい」

明日どこ行く?

SEARCH
話題のキーワード
ページトップへ