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西宮で「福田眉仙展」 写生重視貫き独自の日本画

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更新日:2019年01月18日

  • 福田眉仙の足跡が伝わる作品が並ぶ会場=西宮市大谷記念美術館

 「写生」を重視し、南画(文人画)に独自の画境を開いた、兵庫ゆかりの日本画家・福田眉仙(びせん)(1875~1963年)の回顧展が、兵庫県西宮市大谷記念美術館(同市中浜町)で開かれている。同市在住の清水信一・元サンテレビ社長が16点を寄贈したのを記念し開催。山水画を中心に、ときに壮大かつ繊細、ときに人間味あふれる眉仙絵画の魅力に触れる絶好の機会となっている。(堀井正純)
 眉仙は相生市出身。19歳で上京し、日本画家・久保田米僊(べいせん)の門下となった。米僊はジャーナリスト徳富蘇峰(そほう)の「国民新聞」で挿絵を担当。彼の日清戦争の報道画に感銘を受け、眉仙は弟子入りしたという。会場に並ぶ米僊の挿絵のスクラップ帳には、くだんの戦争報道画もあって興味深い。当時から、眉仙が自分の目で見たものを描く「写生」「現場主義」に関心を抱いていたことが分かる。
 その後、明治画壇の巨頭、橋本雅邦に師事。日本美術の近代化に尽力した美術教育家・岡倉天心からも多大な影響を受けた。
 人生の一大転機となったのは、1909(明治42)年から足かけ3年の中国への旅。天心から南画復興を使命とし、大陸へ渡れ、と激励されたという。眉仙34歳。上海、重慶、成都、西安、北京など、ほぼ全土を巡り、約1万6千キロを踏破、膨大なスケッチを制作した。
 同館の内村周学芸員は「眉仙が現地での写生に強いこだわりを持つようになったのは、この旅で目にした中国の情景が、従来の南画に描かれた風景表現とは全く異なっているのを実感したことも理由の一つ」と指摘する。
 帰国後、17年に東京から西宮・苦楽園へ転居。中国旅行の記録画「支那三十図巻」の制作に着手し、2年がかりで全30巻、全長200メートルを超える長大な絵巻を完成させた。今回はそのうち、製塩業で名高い四川盆地の自流井(じりゅうせい)に取材した「自流井図巻」(姫路市立美術館蔵)が出品されている。
 甍(いらか)の波の間に、塩井から塩水をくみ上げるため、地上高く組まれたやぐらが林立する街のにぎわいや働く男らを伸びやかな筆遣いで活写。画家本人が作画を楽しんでいるのが、画面から伝わる。
 20年には芦屋・六麓荘に自宅とアトリエを構え、後半生をそこで過ごす。中央画壇を離れたのは、横山大観ら主流の画家が、写生よりも精神性を重視し、眉仙の目指すものと違っていたのも一因のようだ。中国から戻った眉仙に、大観は「写生帳を全部焼いてしまえ」と忠告したと本人が語っている。
 6曲1双の屏風絵「興隆灘図(こうりゅうたんず)」も、中国旅行の成果の一つ。大河・長江の難所を、力強い画面構成と緻密な筆致で写実的に描写し、実に見事。雄大な自然風景の中、上流へとロープで船を引く人々などが題材。人間を見つめるまなざしに温かさがあり、流れる霧や靄(もや)、飛び交う鳥の姿などに不思議な詩情も漂う。
 「眉仙は、写生を何より大切にしていたが、実景に立脚した上で、実景を超えねばならないとも考えていた」と内村学芸員。「興隆灘図」には、現地で画家が抱いた感興や喜びが、写実を超えて巧みに絵画化され、見る者をも感動で包む。
 「日本画家・福田眉仙とその周辺」展は2月11日まで。米僊、雅邦や大観、橋本関雪ら、同時代の画家らの作品17点も並ぶ。水曜休館。一般500円、高校・大学生300円、小・中学生200円。阪神香櫨園駅から徒歩6分。同館TEL0798・33・0164

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